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菊水飴 [日記 犬]

[るんるん]~コガネムシは 金持ちだぁ 金蔵(かねぐら)たぁてぁた 蔵(くら)建てたぁ 子供に 水飴なめさせたぁ~[るんるん]


この歌ご存知ですか?ワタシの持ち歌(?)なんですけど。
台所で(なぜか?)知らない間によく口ずさんでる”黄金虫ソング”。


先日のこと。「ワタシ小さい時、水飴買ってもらえる子はお金持ちやと思ってたんや」と連れ合いに白状したら「ボクはいつでもなめてたよ」と。「エッ、そうなん[がく~(落胆した顔)]。なんていう飴?」って聞いたら「菊水飴」って即答したのにまたびっくり[がく~(落胆した顔)]
本人のほうがよけいにビックリしてる。「まさか、この歳になって飴の名前を覚えてるなんて思わなかった!」って。(なぜか?)スラスラと蘇ったんですって。古希の夫婦の会話ですよ。<やばいぜ[ふらふら]


で、今でもあるのかと調べてみると・・・・あったんですね!この飴が![がく~(落胆した顔)][がく~(落胆した顔)][がく~(落胆した顔)]


早速お取り寄せ。連れ合いは近江の長浜の飴じゃないかと言ってたんですがさらに琵琶湖の北の余呉町でした。


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(送料の方が高かった[もうやだ~(悲しい顔)]) 中身は変わってないと思うと言ってました。来歴を読むと江戸時代から製法も、(曲げ物入り竹皮包みの)包装も変わらず、北国街道の名物として旅人が持ち歩いたそうです。まごうことなき正統派の水飴!


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「アンタんちは、ひょっとしたらお金持ちやったん?」という結論に達したけど、(50年近く連れ添って来た身には)まるで実感ナシ。


美味しくてついクルクルしてしまう。しかしこの飴、なかなか減らない。しかもミルクが欲しがるけど、口じゅう上顎までベタベタ。なんとかしてくれ~[もうやだ~(悲しい顔)]











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黒川能「木曽願書」「鐘巻」狂言「こんかい」 国立能楽堂 [日記 美術館 犬 ニューヨーク 観劇]

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先日出羽三山をまわったのに”黒川”へは立ち寄らなかったので、リベンジ(?)です。位置はこの地図で確認してください。


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以前やはり東京公演を観た時、現在の(五流の)能の洗練されたのに改めて感じ入った次第だったので、正直興味が失せてしまったワタシ。数年前に知人から黒川へ見に行こうと誘われた冬にも、ちょうど親の介護と重なったこともあって、お断りしてました。


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そんな無知ゆえの傲慢さ(恥ずかしい[もうやだ~(悲しい顔)])を吹き飛ばしてくれたのが今回の舞台。
特に「鐘巻」のシテの太夫さんの演技は素晴らしく、プロの能楽師もかくや、イヤそれ以上の技を拝見した。[ひらめき][ひらめき][ひらめき] 「鐘巻」は五流では「道成寺」として伝わっている能の大曲で、道成寺の原型を留めているのが黒川の鐘巻というのは有名な話。いずれにしてもシテの”乱拍子”と”鐘入り”が見せ所ですが、シテ(下座の上野由部太夫さん)の気迫のこもった乱拍子には圧倒されました!


CCF20171116_00003 - コピー (242x360).jpg(参考・”鐘巻”後シテ)


黒川能と現五流能とは、素人でも視覚や聴覚でよくわかる違いがあるんですけど、(例えば囃子の掛け声とか、謡の調子とか、姿のカマエとか、もちろん演出も)一番大きな違いは黒川では神事として演じられることじゃないかしら。


あまりにも有名になった黒川能は、今では県外からの公演依頼も多いそうで、厳密には神事から離れてるかもしれないけど、国立の公演でも演能の前には必ず神に向かって丁重な挨拶をします。(ここで拍手なんかしちゃいけません。)


神事のハイライトである”王祇祭”では、毎年旧正月に氏子の宿を当屋として(山形県鶴岡市)黒川地区の鎮守”春日神社”に能が奉納されます。
黒川能は中世から領主の寄進や庇護を受け、江戸時代には藩主酒井家が大きなパトロンだったそうで、能装束や能面、役者や演目も数多く維持することが可能だったんでしょうね。


祭りの後の直会(なおらい)ではお神酒が欠かせなくて、呑めば呑むほど神様が喜ばれるとか(?)能役者は呑めないと務まりませんね([わーい(嬉しい顔)])「あれっ、そんな話、隠岐島の闘牛でも聞いたぞ」


いずれの地方でも、かつては、年ごと季節ごとのサイクルに組み込まれた農作業のあいまの”神事(信仰)”が”娯楽(芸能)”と結びつき(当然飲み食いも含めて)単調な生活に”ハレ”をもたらしてくれたのでしょう。裏返せば、農耕民族が土地から離れることができないという”縛り”を作ったとも言えますが。


思い出せば、ワタシの田舎でも子供の頃までは、大人も子供も”寄り合い”が多くて、伝統的な地区の年行事が
生活の中心だった記憶があります。当時はそんなもんだと思ってたしうざったいことでもあったんですが、今では伝統行事中心に生きておられる人をみると、うらやましいし偉いなあとさえ思います。


さて、ワタシが観たのは第2部の演目、上座の「木曽願書」と狂言「こんかい」、下座の「鐘巻」の三番。


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狂言の「こんかい」は、やはり現行狂言の大曲「釣狐」です。白蔵主という僧に化けた古狐が、狐釣りのワナを仕掛けた猟師と対決して、猟師を思いとどまらせた筈なんですが、最後には狐の本性を表して猟師のワナにひっかかってしまうという話。


CCF20171116_00003 (360x250).jpg(参考・後シテの狐)


狐の所作がかなりリアルで面白くて見入ってしまいました。現行曲では結局狐はワナを外して逃げたんだったと思うけど「こんかい」は捕まっちゃうらしいです。こんかいとは”コン”も”クワイ”も狐の鳴き声。あわせて”後悔”という意味だとか[わーい(嬉しい顔)]


「木曽願書」は初めて観た能。現行五流にはない曲だそうです。直面の修羅物でドラマチック、登場人物も多いので飽きさせない舞台でした。


能の見巧者で、黒川能にハマる人は、めっちゃハマってしまうみたい。自然体で荒削りの魅力がたまらんのでしょうねぇ。







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皇居のもみじは? [日記 犬]

”橋をわたる”仲間たちと久々のランチ。皇居が目の前のレストラン。窓から見えるお濠には藻が異常繁殖してる!


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都内でわたる橋もそろそろ尽きてきたかなあという印象。この日は都心の紅葉を楽しむという目的で集まりましたが、遠望する皇居は常緑樹が多いようですネ。

大手門から入ります。お濠にかかる橋が今回唯一わたる”橋”。


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大手門付近にいた小鳥(多分、セキレイだと思う)。


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入ってすぐの枯れ木にも小鳥、オレンジ色がチラッと見えてるので(ジョウビタキかな?)と。確かに皇居は野鳥の楽園。


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でもめだった紅葉はなく、三の丸付近では”緋寒桜”が咲いてました!


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桔梗門から出られないので大手門に戻りお濠を巡って東京駅方面へ。


下の枝は”ヒマラヤ杉”だと友人が言ってたのですけど、ワタシは「?」って感じ。たしかに杉の葉っぱですが、松ぼっくりみたいな(笠?あるいは実?)のがクリスマスオーナメントのように、たわわにぶら下がってる。
草木の名前をよく知ってる人ってめっちゃ尊敬します!


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行幸(みゆき)通りに出ると、やっとイチョウ並木の黄葉に出会えました。


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ギンナンは拾っちゃいけないらしい。縄張りがしてる。


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皇居を背にして東京駅へ。(ワタシも行幸中です[わーい(嬉しい顔)]


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11月国立劇場歌舞伎公演「坂崎出羽守」&「沓掛時次郎」 [美術館 観劇]

11月国立歌舞伎公演は”新歌舞伎”が2演目という珍しい興行。


山本有三作の”坂崎出羽守”、長谷川伸作の”沓掛時次郎”、出羽守には尾上松緑、時次郎には中村梅玉という2本立て。(舞台の数は増えてるけど”座頭”級の千両役者が少なくなってるので、という裏事情かナと勘ぐりたくなりますが。)


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”坂崎出羽守”が四幕、”沓掛時次郎”が序幕、二幕、大詰の計三幕。長谷川伸の股旅物であまりにも有名ですけど今回の”時次郎”はちょっと端折りすぎかしら。残念ながら人情の機微がまったく伝わってこない。梅玉さん元気がなかったなあ。



幕が開くと同時にスピーカーから大音響のBGMが流れて「エッ?」と思っちゃた。効果音もスピーカーから聞こえます。黒御簾の囃子が無いのがどうにも違和感が[ふらふら]。「これは新歌舞伎や!」と自分に言い聞かせて観ることにしました。


”出羽守”の松緑が熱演。(2代目松緑の)祖父も、(初代辰之助の)父も演じた出羽守だとか、当代にとっては初挑戦の舞台だそうです。ワタシは先のお二人の舞台は観てないんですが、お祖父さんのフアンだったからなんとなくわかるような気がする。松緑さんにとっては、当然家の芸としても大切にしていきたい役でしょうし、また”自分なりの出羽守”を演じたいでしょうから、すごく研究熱心に役にとり組んでおられるのがビシビシ伝わってきた。


特に、台詞の間合いと声の出し方が常の舞台とは異なりましたね。厳しく言わせてもらうと、その分出羽守の心理が浮きあがる箇所もあれば、逆効果かなと思われる箇所もあった。舞台初日から間もない日だったせいか、まだセリフが身体に入ってない役者さんもいたのがちょっと。。。


松緑さんの出羽守はまだまだ”のびしろ”がありそうで期待がもてますね。現代人からみると山本有三の新歌舞伎はかなり俗っぽくてシラケるんだけれど、その”かったるさ”を松緑さんの肉体表現で面白くしてもらえるんじゃないかと思えます。


このプログラムの表紙をみてください。日本画家の池田遥邨画伯の作品(部分)。

<まっすぐな道でさみしい> という山頭火の句の情景をテーマにしたそうです。
道は信州の旧中仙道。句は山頭火が信州飯田で病に伏せって詠んだもの。


梅玉さん(時次郎)が舞台で唄う”追分節(信濃追分)”が情感にあふれていました。


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”沓掛”は今は中軽井沢と呼ばれてます。


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会津へ(3)長床・惠隆寺・勝常寺 & 裏磐梯・五色沼 [旅行]

最終日3日目は会津の仏さまを訪ねる旅。喜多方市の「長床」会津坂下町の「恵隆寺」湯川村の「勝常寺」の3箇所。どのお寺も会津若松市内からさほど遠くはなくナビの案内どおりでOK。「勝常寺」だけは電話をして拝観予約をするので、時間を尋ねてから行ったけど、午前中に拝観が終了。


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<長床(ながとこ)>


名前を聞いただけではなんのことかわからない(?)けど、”新宮熊野神社”という立派なお宮さんです。(新宮熊野といっても和歌山じゃない、福島の神社ですよ)


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鳥居をくぐり抜けると


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大イチョウがすごい!「多分黄葉してますよ」と宿で聞いて楽しみにして来たんですが・・・まだ、青いやん[もうやだ~(悲しい顔)]
受付で尋ねると「見頃は20日頃じゃないですか」とのこと。黄金色に染まるイチョウが有名(らしい)。その時期は人も多いでしょうがこの日はわれわれだけ。ひっそりと静まり返ってます。


イチョウの奥に見えてるのが<長床>と呼ばれる建物。横になが~いお堂。


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”まるでギリシア寝殿のような”と形容される円柱がずらりと並ぶこの長い拝殿は、とても珍しい寺社建築なので国の重文指定を受けています。間口は27メートル。
本殿は更に奥ですが工事中(軽トラックが見えてる)なので通れません。


源義家の創建といいますから平安時代からの由緒ある神社(江戸時代に大地震で倒壊し旧材で再建されているとか)。茅葺きのどっしりした屋根をこの円柱で支えてるんだからたいしたものです。


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ただ、拝殿だとしても吹きっさらしの長い床が、なんでこんなに必要だったのかと不思議?一時期は修験道場としても使われてたそうですよ。確かに大勢の人が入っても雨露をしのぐのに充分な広さ。


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敷設している”宝物殿”が面白かった。特別なものでもなく重文指定されているわけでもないけど素朴な木彫がとても良かったです。奉納相撲も盛んだったんでしょう。力士像も面白かったし、


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獅子とか。


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小獣や獅子頭とか。


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<恵隆寺>


次は会津坂下(ばんげ)町にある立木観音のお寺”恵隆寺”。山門をくぐります。


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正面が観音堂。屋根のフオルムが独特で素晴らしい!国の重文指定を受けているのも道理。


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この中にご本尊の千手観音さまが祀られているんだけど・・・・


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当然撮影禁止なのでお借りした写真です。めちゃめちゃでっかい観音さま(約9メートル)が、両脇に眷属の28部衆と風神・雷神を従えて立っておられます。頭がお堂のてっぺんまで届いていて、あまりに大きいので、見上げてもお顔も身体もよくわからないんです。腰から下、足の大きさがやたら目につく。荒削りだけどインパクトは強烈!どんな願いでも聞き届けてくださりそう。


”立木”というのは1本の大木から仏を彫りあげてるので(嘘かまことか)床下に木の根が残っているそうです。観音さまを彫ったあとからお堂を造ったらしい。平安時代の建立。ノミをふるったのは弘法大師とも(会津の怪僧)徳一大師とも言われています。


実は観音さまの前に大きな垂れ幕(斗帳)が下がっていて(写真では黄色い布)、お堂に入ってもすぐにはお姿が見えません。幕の後ろにまわって狭いところで拝観するのです。窮屈だから一度に多くの人は入れません。この日は団体客が先に入っていたので待っててくださいと言われた。特別な法要の際にのみ幕が上がります。


けれど、待ってた甲斐があった。素晴らしい千手観音さまに出会えた。何百年も衆生の悩みを聞き続けてくださっているんだなと実感できました。狭いからか、仏さまとの距離が(心理的に)ものすごく近い。


垂れ幕のおかげで湿気や強風からも守られ残ってきたそうです。眷属(けんぞく)の28部衆と風神・雷神(木彫)の色彩がいまだに残っています。これらの眷属を従え祀られるのが千手観音の本来の姿なんですって。写真は雷神(優品です!)と、


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28部衆たちと”だきつき柱”。抱きついて心の中で願いをするとかなうそうです。むろんワタシも抱きついてきましたよ([手(チョキ)]


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地元では”ころり観音”といわれて人気があるそうです。入れ代わり立ち代わり在の人がお線香を上げにいらしてました。


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<勝常寺>


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勝常寺の駐車場を探してうろうろしてたらいたるところにカキの木が。渋柿なんでしょうか。鳥もついばんでないようです。


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勝常寺はあらかじめ連絡をとって拝観させていただくことになってます。国宝の薬師如来をはじめ重文の仏さまが勢揃いしておられる古刹、徳一上人が関わったことが資料的にも判明している貴重な文化財で、創建当時は七堂伽藍が立ち並び、会津仏教の中心として威勢を誇っていたそうです。東北を代表するお寺ともいわれていますがこの日は境内に人影もなくひっそりとしていました。


指定された時間に着くと坊守さんが待っていてくださった。まず、収蔵庫を開けてもらいました。「あと3日ほどで拝観受付は終わり。良い時に来なさったね」と。冬場は閉めるらしい。


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中に入ってビックリ!素晴らしい十一面観音や地蔵菩薩、(薬師如来の脇侍)日光・月光菩薩が並んでいます。


「四天王は今東京の博物館にお出まししてです。以前特別展の時は皆さん東京へお出ましでした。」と言われてハッと思い出した。迂闊にも、東博の「みちのくの仏たち」展で拝観した仏さまたちでした。道理で、既視感が!
ご本尊の薬師さまのみ薬師堂にお祀りしてあって(地元の人たちが常に拝みに来るのでという話)脇侍等はこの収蔵庫に保存しているそうです。


恥ずかしながら「みちのくの仏」展で、初めて東北仏教の祖といわれる”徳一上人”のことを知ったワタシです。坊守さんに「ご本尊の奥に上人がおられます」と言われ覗いてみると上人の木像がありました。


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強面ですね(コワイなあ)。骨太の硬骨漢といった感じの方。平安時代の高僧、最澄や空海と同時代人で、2人のスーパースターに宗論を挑んだすごいお坊さんらしい。最澄の記録には徳一をさして「陸奥の仏性抄」と書かれているそうです。


出自は藤原氏で東大寺で法相宗を学びました。貴種かつ第一級の知識人だったのね。若いころに権力者と結びつく奈良の仏教を嫌って都から出奔、筑波や常陸・会津などを巡り、東北で民衆のための仏教を興そうと、都から職人や仏師を呼び寄せて、盛んに寺の建立をし多くの仏像を彫らせたらしい。ご自身は清貧に甘んじたと言います。

東北の仏教文化と聞くと平泉の中尊寺を思い出しますが、南東北にはまったく系譜の違う仏教文化が存在したわけです。(平安時代までは国家鎮魂の仏教のみだったというのは中央の支配者の歴史ですね)


徳一伝説は東北のあちこちに残っているそうですが実態は謎です。どうやらこの当時(平安期)この地方は寺が荘園の領主だったらしく(徳一が建てた慧日寺の)僧兵たちが木曽義仲との戦に敗れるまで、独自の寺院統治が続いていたそうです。大伽藍の建立や仏像制作が可能だったのもそうした事情によるものかしら。


現存する仏像も都の仏たちと遜色がない。収蔵庫の仏像たちは、スマートさには欠けるけど、どの仏さまも、力強く肉付きがよくて、寒さにも負けないどっしり感が特徴的。腕のある仏師が呼び寄せられたんでしょう。


薬師堂も開けてくださって、お厨子の御本尊さま(国宝・薬師如来)も拝ませていただきましたが、とても力強い平安仏です。仏というより人体に近い造形です。自分たちに寄り添ってくださる仏さまを拝むことができて、人々がどれほど喜んだか。すばらしい薬師三尊が残っていて、今もなお村人のお参りが絶えないというのも、お薬師さまならではでしょうね。


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「みちのくの仏」展でも説明されてましたが、当時は木から仏を掘り出すノミの音自体が信仰の対象になったそうです。で、それを視覚化するためにノミ跡を残したままの仏像も多いとか、このお薬師さんもそんな素朴な信仰が見て取れました。


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<裏磐梯 五色沼へ>


午後からの時間があまったので会津若松を抜けて裏磐梯へドライブ。


でもその前に”道の駅会津”でお昼。B級グルメに挑戦!ソースカツ丼とラーメンです。


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”焼きそばカレー”もあって連れ合いはどっちにしようかと迷ってた。カツ丼にして正解だったみたい[わーい(嬉しい顔)]。ワタシは下のタンメン。分量が多くて連れ合いに助けてもらいました[ふらふら]


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満腹にもなったし会津にさよならして、磐梯高原絶景ドライブと雑誌に紹介されてた”ゴールドライン(かつては有料道路)”を通って五色沼まで行きます。


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磐梯山がだんだん近づいてきた。


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眼下に猪苗代湖も見える。


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”黄金平”という展望所から、まさに”裏”磐梯を見ています。明治の大噴火で山頂が吹っ飛んで、えぐれている中央を”爆裂火口”というそうです。


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”桧原湖”をチラッと横目に見ながら五色沼のビジターセンターへ。


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ビジターセンターに到着。この看板がトレッキングの入り口。


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五色沼は40年前に3歳の長男を連れて一度来てるはずだけどよく覚えてない。”五色沼自然探勝路”という簡単なトレッキングコースがあります。往復で3時間くらいと教わったので(ワタシの腰痛を案じた)連れ合いが半分くらいで引き返そうと。


一番大きくて一番近い”毘沙門沼”から周ることに。ボート乗り場もあります。この沼には駐車場もあるので団体客がわんさかいました。


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少し進むと人も少なくなってくる。沼があまりにきれいな色をしているので見とれてしまいました。


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自分でも不思議なことに、こういう時は頑張って歩けるんですよ。大小さまざまの沼は磐梯山の噴火で川がせき止められて出来たそうです。(五色といっても沼は五つだけではありませんし、色が五色あるわけでもない)


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林の中では今でもいたるところから豊富な湧き水があふれていて、沼に流れ込んだり新たに水たまりを作ったりしていてます。しきりに水音が聞こえます。


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自然林だし国立公園なので案内版もほとんどない。でも(下の写真のような道が続いてるので)歩きやすい。ワタシはスニーカーを履いてたけど連れ合いは革靴でしたもん。


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どの沼を見たのかは判明しないけど、適当なところで引き返したのでさほど疲れませんでした。


磐梯吾妻レークラインという道も(ちょこっと)走ってみた。磐梯山を南側から見てる。


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こちらは山全体が紅葉に染まっているのが眺められます。今頃はもう雪かしら・・・。


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以上で会津の旅の記録を終わります。












 



 













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会津へ(番外編)東山温泉 旅館”向瀧” [旅行]

先に今回は老舗旅館に泊まるのがメインの目的だと書きましたが、二泊目に泊まった宿がこの”向瀧(むかいだき)”。http://www.mukaitaki.com


ご存知の方もあるかと思いますが、会津東山温泉は会津若松市内にあります。古くから会津藩の温泉保養地として使われていて、中でも”向瀧”は上級武士の指定保養所として格式の高い宿だったらしい。そんな雰囲気を現在もそのまま伝えている旅館です。


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建物は国の登録有形文化財指定に指定されている立派な構え。NHKの”美の壺”でも取り上げられたそうです。


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湯川という小川に沿って温泉街があるようで豊富な湯量を誇ってる。湯川はやがて阿賀川に合流、新潟では阿賀野川となって”日本海”に注ぐので、会津の川は日本列島の分水嶺の西側を流れていることになります。


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川のほとりを歩くと宿から湯気が出てるのがわかる。源泉かけ流しの風呂場からだと思う。


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古くからの”狐湯”(コンコンと湧き出る)です。向瀧の前身(会津藩士たちの時代)は宿の名も”きつね湯”だったとか。源泉は完全放流の100%かけ流し。お湯は「足さないし焚かない」方式。何もしないのが向瀧流。昔ながらの湯治場です。浴槽は貸切風呂(無料)を始め数カ所あって好きな時に好きなように浸かれます。湯温は41度~45度くらい。もったいないようなお風呂でした。(大浴場だけはシャワーもサウナもついてるし身体も存分に洗えます。トイレは現代風に改装してるので快適)


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ネットで予約をしたらすぐに”向瀧・帳場”から丁寧な返事が来た。エレベーターがないので階段の昇り降りは大丈夫でしょうかと。足に自信がないと言ったらなるべく階段の少ないお部屋にと変更をしてくれた。見取り図を送ってもらったけどよくわからない。で、玄関から近くの「百合の間」にしました。


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予約の段階で部屋も選べるんですよ。24部屋しかないらしいけどすべて文化財指定、それぞれの部屋に特徴があってしつらえも異なってる。番頭さんに案内してもらって迷路のような廊下を進みます。どこもピカピカに掃除がゆきとどいている[ひらめき]


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「今日は十三夜だからお月見の用意もしました」と。ちゃんと13種類の野菜とお団子が供えられています。手抜きがいっさい無い!


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百合の間に入った途端、鮮やかな紅葉に目を奪われた!


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中庭を取り囲むように部屋が配置されている。


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何より目を惹いたのは、部屋の建具の素晴らしいこと!


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床の間の書棚の脇障子です。綺麗よねえ!


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明かりとりの障子もすごく凝った細工。デザイン的にもクールでしょ!


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窓枠の四隅の丸みがわかりますかしら?今時こんな細工ができる職人さんがいるかしら。(まあその需要もないでしょうけど)


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しかもスルスルと開けられる。100年近く経ってるらしいけど建付けにはなんの問題もありません。飾りじゃない、すべて現役の建具なんです!


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「百合の間は建具が特別なんですよ」と番頭さん。この部屋は昭和の初め頃地元の職人さん(名前を聞いたのに忘れた)がすべてひとりで仕事をされたそうです。すごいね[がく~(落胆した顔)]


よく見ると窓のてすりにも遊び心があって、下のガラス窓に引き雨戸まで付けてるんです。しっかり動く!


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(かつてはホテルのベッドでなければダメだった)連れ合いが、しきりに「この部屋、落ち着くなあ!」と申しております。同感。日本旅館のよさを感じられる年齢になってきたのかしらね。


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部屋の額は東郷平八郎の揮毫。「練磨(れんま)」と読ませるそうです。何ごとにも日々精進しなさいと叱咤激励されていると番頭さんが言ってました。クサイ言葉なのに”実”があり営業トークではないと感じました。


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お料理も地産地消が徹底してました。お刺身も”鯉”しか出さない。絶対に地元産の新鮮な食材しか使わないと頑固なまでにこだわって手作りしてます。


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会津藩直伝という数時間以上煮込んだ”鯉の甘煮”が自慢(上の写真、右の椀)。食べきれない分は真空パックにして持たせてくれたのに、帰りの郡山駅に忘れてきた(かえすがえすも悔しい[もうやだ~(悲しい顔)]


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下は”こづゆ”という郷土料理。新潟の”のっぺい”に似てる。郷土の野菜やギンナン、キノコを細切れにして薄味の汁仕立てにした料理。お出汁もきちんと取ってるので美味しい!椀も会津塗。


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お酒は栄川酒造と共同で向瀧が仕込んだ”美酒佳肴(びしゅかこう)”という宿独自の銘柄。なんでも野口英世博士が帰国後に母親を連れてここに泊まった際に興に任せて揮毫された書にあやかってるそうです。連れ合いは新酒と古酒を飲み比べて冷酒で呑むのは新酒のほうが合ってるとか言ってた。


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翌日お庭に出てみた。紅葉の奥に見えるのが泊まった”百合の間”ですね。


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山の傾斜にそって階段状に部屋が造られています。明治のはじめごろ、会津藩から民間人の平田家に下げ渡されたそうです。古い部屋では150年近く経っているらしい。代々の女将が宿を守り名旅館に育てあげられ現当主は6代目だとか。大震災の時にも木造の建物はびくともしなかったそうですよ。


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若い番頭さんが大広間を案内してくれた。檜の格天井とか能舞台とか、目をみはる造りです。今後同じものを造ろうとしても”材”が無いと。


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「文化財の建物を実際に使いながら維持と保存をして行くのは至難の技でしょうね」というと、「おっしゃる通りですが、お客様が残しておいてねと言ってくださるのがなによりの励みなので・・」との答え。真面目すぎる答えに思わず顔を見たら本気で言ってるのがわかった。


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大広間にも松方正義の揮毫の額とか、


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犬飼毅の揮毫とか歴史を感じさせるものばかり。犬養毅は宿の女将の為に筆を取っています。


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往年の政治家たちはここで疲れを癒やしたのかしら?芸者さんと遊んでゆっくり羽をのばしたのかしらね?そういえば(総理時代の)小泉純一郎氏の写真もありました。


”会津っぽ”という言葉があるそうで、会津の人の律儀さや頑固一徹、正義感の強さや誇りの高さを表すらしいんですが、向瀧は”会津っぽ”を象徴するようなお宿でしたね。


部屋や料理が素晴らしい宿は他にもいっぱいあると思うけど、実際に働いてるみなさんが地元にも職場にも誇りを持って自分のやるべき仕事をしてると感じられる宿はそう多くない。名旅館というのはやっぱりヒトですね。”ヒト”の心意気が文化財という”モノ”を支えてるんだと痛感しました。(褒めすぎだと思う方は一度いらしてみてくださいな)


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蛇足ながら”お客さまフアースト”という向瀧の徹底ぶりは宿の料金表を見てもわかります。一泊2食付で22000円/人です。庶民でも泊まれるという良心的な値段。しかも休前日や年末年始でもさほど変わらない!
建物を維持するだけでも大変だろうに(他人事ながら)経営は大丈夫なのかしらと思ってしまう。おかげでワタシたちも楽しい経験をさせてもらったけど([わーい(嬉しい顔)])。リピーターが多いお宿だろうなと思いました。













 























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会津へ(2)鶴ケ城、県立博物館、飯盛山・さざえ堂など。 [旅行]

2日目は会津若松市内でベタな観光地めぐり([ふらふら]

地図で位置確認。


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<福島県立博物館>


まず県立博物館へ。立派な建物でおどろき!開館と同時に入る。二人だけかと思ったら、なんのなんの、社会科見学の子どもたちがドッと入館してきた。教育施設になってるのね。


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博物館はお城の近くにあります。いや三の丸跡地に建ってますから城内といえるか。


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館内は撮影禁止が多いので紹介できないけれど、福島県の歴史と文化を丁寧に説明してました。会津での歴史というと”戊辰戦争”がまず浮かぶけど、それに偏らず縄文時代からの県内の歩みをわかりやすく展示しています。(下は竪穴式住居)


おおまかに申せば、福島は大震災で大被害を被った”浜通り”、福島市のある”中通り”、内陸の”会津”と、3つの文化圏に分かれるようです。


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考古学の部屋もあるし恐竜や化石の標本も置いてる。


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民芸のコーナーもあります。立派な展示で入館料250円とは申し訳ない。


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(余談ですが)、いろんな場所を旅してみると、どこに行ってもその土地々々の豊かさを痛感させられます。歴史であったり文化であったり食べ物であったり感じるところは様々ですが、ひっくるめて豊かな暮らしが成り立ってる。にもかかわらず、出会う人たちは口を揃えて「若者はみんな出ていく」「仕事がない」と。


中央集権的な”東京一極集中”という日本の状況は、効率的ではあるんだろうけど、つくづく根本的に間違ってるナと思います。なんかヘン。かくいうワタシたちも地方出身者。連れ合いはいつも「東京に出稼ぎに来ました」と自己紹介するんですけど、すでに東京暮らしのほうが長くなってしまった。いったい
どう考えたらいいんでしょうねえ???


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<鶴ケ城>


博物館を出てすぐの三の丸口からお城に入ります。


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二重の堀に囲まれてます。堅固な城であったのね。


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内堀にかかる橋。天守がチラッと見えてますね。


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天守に近づくにつれ石垣の形が変わってくる。「この辺りは穴太積みが残ってるのかな」と連れ合い。穴太積みは自然石をそのまま積み上げていく形。大きな石の隙間に小石を入れていく。だから石の大きさがみんな違う。一見無造作に見えますが頑強な石垣なんですよ。


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”鶴ケ城”の天守閣です。戊辰戦争でボロボロにされながら一ヶ月の籠城を持ちこたえたお城ではなく、昭和になってから復元されたコンクリート造りです。


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<鶴ケ城・麟閣・お薬園>の共通入場券が売ってます。3か所まわってというわけ。天守までの各階ごとに、鶴ヶ城の歴史展示があり「フムフム」と言いながら登り切るとこんな眺めです。左端のほうに”飯盛山”があるはず。


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歴代領主の展示室で”加藤嘉明公”が、”保科正之公”の前にこの地を治めてるのを知ってビックリした。加藤公は賤ヶ岳の七本槍の一人で秀吉の子飼いだった武将。加藤家は”甲賀”の水口城主なんですよ。


会津はもともと”芦名氏”が治めていたのが、伊達との戦に破れ一時は”伊達正宗”の所領となり、その後”蒲生氏郷”が鶴ヶ城を建築、その後”上杉景勝”が治め、上杉が米沢転封の後再度蒲生氏郷の子”秀行”が入り、”加藤嘉明”が入り、最後に”保科家(名君保科正之)”が入って、維新まで”松平家”として続くんですね。並べてみると錚々たる武将が治めています。要衝の地だったのね。


でも多分、一番の人気はこの殿様、戊辰戦争の際の会津藩最後の藩主”松平容保(かたもり)”です。お写真が残っていましたよ。やっぱりイケメンでした。京都守護職のお姿ですって。保科正之が残した(徳川幕府を守るという)家訓に縛られていたのだという見方がありますが、実直で純粋な若殿だったんでしょうね。


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<茶室 麟閣>


城の目の前本丸内にあります。前回申し上げたように、千小庵を匿った際に蒲生氏郷が造らせた茶室です。


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戊辰戦争後も民間の茶人の手で大切に保存されてきたそうですが、近年もとあった場所に移築復元したそうです。


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<御薬園>


会津藩主・保科(松平)家の別荘。2代藩主正経が別荘内に薬草園を設けたので「御薬園」と呼ばれるようになったそうです。


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今も薬草が栽培されています。ナタマメとか


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カラムシとか。薬草茶も販売してるので買いました。クセのある味ですが身体にはいいんでしょうね。


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大名庭園・遠州流のお庭です。きりりとした風情のいいお庭。戊辰戦争のときに官軍の療養所として使われたので建物が残ったそうです。


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池の中央には”楽寿亭”という趣のある茶室が建っているのですが、戦の刀傷などもそのままでした。


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茶室の向かい側の”御茶屋御殿”は、容保公も過ごされたという建物で、常は公開もされてますが、大震災で被害を蒙り今は修理中とのこと。


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池には人慣れしたカモも鯉もいてエサをねだってます[わーい(嬉しい顔)]


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<会津武家屋敷>


武家屋敷に入る前にランチ。武家屋敷の前のラーメン屋さんで”喜多方ラーメン”を(ワタシは)初めて食べました。こんなもんかな?


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さてここが武家屋敷の入り口。堂々としてますね。


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観光バスが何台も停まっていて、しかもほとんど首都圏からの小学生の修学旅行(遠足?)。リュックを背負った子どもたちがわさわさ飛び出してきます。武家屋敷の見学が修学旅行のコースになってるらしい。”あいづっこ宣言”という看板もある(什の掟の現代版ね)。


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この屋敷は幕末の会津藩家老”西郷頼母(たのも)”の屋敷を復元したものだそうです。1700石の大身だった家老屋敷は2400坪という広大な敷地に建っていて、38の部屋数があるそうです。ちょうど菊の展示会の最中。


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普段はお屋敷に上がれるそうですがこの日はダメ。外観のみの拝見です。


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頼母は容保が信頼を寄せる名家老だったそうですが、数奇な運命に翻弄された人です。幕末、京都守護職を引き受けた主君に思いとどまるように説得。「薪を背負って火事場に助けに行くようなもんだ」と言ったとか。なるほどネ。容保から蟄居を命ぜられますが、戊辰戦争で再び家老職に戻り、采配をふるいます。
会津が無残にも敗れたあと、自身は函館の五稜郭にまで行って官軍と戦いますが、結局ひとり明治の世まで生き延びることになります。


その戊辰戦争の頼母の出征の際に、妻娘すべてが自刃したそうで、会津女性の覚悟のほどが今も語り継がれています。屋敷には(人形で)その様子が再現されています。ギクッとしますよ。


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外庭では子どもたちが弓矢で遊んでいました。


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屋敷の土間ではこんなカキ(渋柿なので焼酎で渋抜きするそう)も売ってるし、


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土産物コーナーでは、赤べこの人形やらも販売されています。


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<飯盛山>


突き当りの小高い丘が飯盛山です。ここにも小学生たちがわんさか。修学旅行のコースと完全にかぶってる(笑)。


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子どもたちは元気に階段をかけ登って行きますが、おばさんは(左に屋根が見える)エスカレーターで(250円)上ります。


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鶴ケ城から飯盛山とくれば・・・当然、白虎隊でしょ。ちゃうちゃう「さざえ堂」でした。


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なんだと思います?このひしゃげたようなお堂。どうやらお寺らしい。
子どもたちがわっせわっせ登っていきます。誰かが「お金をはらうんだよお~」って怒鳴ってる[わーい(嬉しい顔)][わーい(嬉しい顔)]


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由来書です。重要文化財に指定されてるらしい。堂内の螺旋状の階段をぐるぐると一筆書きで昇り降りすると、西国33ヵ所の観音さまを拝んだのと一緒になるそうです。


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螺旋状の階段は結構急傾斜なので写真を撮るのも難しいんですけど、一応こんな様子です。上り階段と


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天井と(すごい数のお札!)


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下りの階段。


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ぐるりと一周してもたかだか数分くらい。あっと言う間なので子どもたちは中心柱を通り抜け、登ったり降りたりを繰り返してかくれんぼ([わーい(嬉しい顔)]


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模型をみるとこんな構造です。実物と比べてみて。


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愉快だったのがこの土産物屋さんの看板。読めますか?
<山主 飯盛本店>「エッ、山主?」飯盛山って私有地だったの。意表を突かれた!

畢竟、さざえ堂も飯盛本店の私有物デス。拝観窓口のおばさんも”山主”らしい。


実は飯盛山の公営駐車場がわからなくて困ってたんですが、この飯盛本店の大きい駐車場が山麓にあったんですよ。そこにバスも停まってたから「あれっ?」と思ってたけど、そういうことだったのか。意味わかりました。


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せっかくここまで来たんだからやっぱり”白虎隊”でしょ。というわけで、自刃の跡地まで見に行きました。山の中腹が墓地になっています。


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その中ほど、ここだそうです。


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[るんるん]南に 鶴ヶ城を 望めば 砲煙 あがる[るんるん]~と詩吟にありますが、少年たちが仰ぎ見たという鶴ケ城は、残念ながらどこかわからない。


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こちらがお墓です。13才から16才までの少年たち(予備兵だった)は、総力戦ということで戦いに加わったらしい。20名が自刃、ひとり生き残った方がいたそうですが、その人も飯盛山に埋めてくれと遺言を残し、ぽつんと離れてお墓がありました。


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<鈴善>


ついでに市内の”鈴善”に立ち寄ったので記録しておきます。会津塗漆器の老舗です。


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こっちは売り物。旅の記念に”ぐい呑”を買いました。


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裏のお蔵。


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蔵の中に展示してあった江戸時代の会津塗。


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会津へ(1)大内宿 塔のへつり [旅行]

NYから始まって今年七度目の旅行は福島県の会津地方。これで年内は打ち止め(のつもり)。12月と1月は町内のゴミ当番なので家を空けられないという事情もあります。


1)NY、2)関西&瀬戸内海&九州(別府・黒川温泉)、3)台湾&南西諸島クルーズ、4)隠岐諸島、5)山形、6)屋久島&薩摩、そして今回の(7)
会津。今年もあちこち行きましたが、困ったことにすぐに忘れてしまう。ので、旅行記として残しております。

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山形の銀山温泉”能登屋http://www.notoyaryokan.com/”で老舗旅館の魅力に目覚めたワタシ達。
今回も老舗旅館に泊まることをメインの目的にして、会津の東山温泉”向瀧
http://www.mukaitaki.com/”という旅館の予約を取った。大抵の老舗は個人予約しか受付けないけど、昨今はネット予約ができるので便利です。向瀧のすごいのは文化財指定の部屋まで選べたこと!


郡山までは東北新幹線で往復、いつものように駅前でレンタカーを借りて、2泊3日で会津&裏磐梯をまわる旅程。一泊目は芦ノ牧温泉”大川荘(ここは大型旅館)”、二泊目が東山温泉”向瀧(むかいだき)”。


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「蒲生氏郷」


会津若松は、戦国武将の”蒲生氏郷”が、名城”鶴ヶ城”をはじめ街の骨格を造りあげた城下町です。もとは”黒川”だった地名を氏郷が”若松”と改名したそうです。


蒲生氏郷はキリシタン大名で高山右近の盟友、利休七哲の筆頭ですが、ワタシの故郷(甲賀)に隣接する蒲生郡・日野町の領主でもあった人なので以前から名前は良く知っていました。日野には銅像もありますよ([わーい(嬉しい顔)]

会津移封の際には近江から多くの職人を呼び寄せ、穴太衆に城の石垣(穴太積み)を命じたり楽市楽座を導入して新たな産業を起こしたり、町の基盤造りに関わらせたそうで
甲賀衆もお供したようです。市内には今でも”甲賀”という名が付いた場所が残ってます。


氏郷は信長の娘婿で信長からの信頼も特別だったらしく、本能寺の変の際には安土城から信長の妻子を助けだした史実が有名です。利休の自害のあとは(利休の娘婿)千少庵を会津に匿い千家の断絶を防いだという逸話も残っています。少庵のために城内に”麟閣”という茶室も造らせていて、会津は今でも茶道の盛んな土地柄のようです。


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秀吉の”奥羽仕置”で、伊達家の牽制役として42万石(実測92万石)で会津に転封されますが、実際に会津を治めたのはたかだか数年。短い統治の間に次々と事業を起こし街の礎を築いた人として今でも地元では慕われているようです。

”会津塗漆器”や”絵ろうそく”なども氏郷が連れてきた職人が起こしたそうですし、有名な郷土玩具の”赤べこ”や


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”起き上がり小法師”や


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”あいづてんじん”なども氏郷が奨励して造らせた民芸品です。


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”氏郷”の名は今でも色んな所で見かけるので、会津では(多分)”保科家”に次ぐ人気者の殿様じゃないかしら。


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その氏郷は朝鮮出兵の際に病を得て伏見屋敷で亡くなります。享年40才。文才に優れた清廉な武将でもあり(側室も持たなかったとか)、燕尾形兜(えんびなりかぶと)を被って勇猛果敢に戦った武将でもあるそうです。(戦国ゲームでも人気だそう)


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その氏郷のお墓が市内にあると聞いて、ぜひお参りしたいと思ったのも旅の主目的。
2日目に行ったんだけど、先に書いてしまいます。


市内の中心部にあるお寺「興徳寺」。


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この境内に五輪塔があります。正式には京都の大徳寺(やっぱり信長の側?)に葬られたそうで、こちらは分墓です。


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辞世の和歌。
<限りあれば 吹かねど 花は散るものを 心みじかき 春の山風>


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鶴ヶ城の天守には氏郷所蔵(か?)の”秦西王侯騎馬図屏風(レプリカ)”が展示されており、「なるほど、氏郷が持ってたのかあ!」と連れ合いは腑に落ちたみたい。下がその屏風絵(部分)。


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安土桃山期の一風変わったこの王侯騎馬図屏風は、セミナリオで学んだ日本人の若者たちが図鑑(洋画)を参考にして描いたものと言われています。


キリシタン大名・氏郷の目は南蛮貿易にも向いていたようですね。天下人としての器量にも申し分なかったでしょうが、真面目に主君に忠誠を尽くし、会津の大大名として生を終えています。


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さて、話を初日の旅程に戻します。


<大内宿>


郡山でレンタカーを借りて会津若松インターまで高速道。磐梯山が見えた。天気予報では3日間とも晴れだったけど初日は曇ってました。


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高速を降りてから会津若松の市内を抜けて南会津方面へ向かいます。


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看板を目印に、メーンの街道をそれて山道へ入っていきます。


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小雨もよう。山道を少し登ります。前日までの雨のせいか水量が増してる。渓流がゴーゴー音をたててた。


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程なく到着。。駐車場に観光バスが何台も並んでたのはオドロキ。ここからが<大内宿>らしいけどこのあたりはまだ電柱も地上に見えてますネ。


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オッ!時代劇の撮影セットみたい。


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茅葺屋根の家が両側にびっしり並んでいます。遠景で撮るとこんな感じ。紅葉の山とコラボしてる。100軒くらいあるのかなあ?屋根の手入れが大変だと思うけど、あまりにきちんと葺かれていて感心しました。(床屋さんに行ったばかりみたいネ[わーい(嬉しい顔)]


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江戸時代、会津若松と日光を結ぶ幹線道路(会津西街道)の宿場町として賑わった場所なんですって。国の重要伝統的建造物保存地区として残されています。今はほとんどの茅葺農家が土産物屋さんやらそば屋さんのお店として営業してます。活気のある街道筋です。


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ワタシたちもこのお店でランチ。


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「寒いから中へどうぞ」と部屋へ通してもらった。


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名物の”ねぎそば”なるものを注文。温かい山菜そばですが、生ネギをお箸代わりにして食べます。「どうやって?」と思ったけど、だんだん慣れてきます[手(チョキ)]


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薬味として、かじってもいいと言われたんですが、食べ終わってみると・・・


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なんか?・・ネギの長さが・・ちゃう?「父ちゃん、ネギかじりすぎやろ![ふらふら]


”しんごろう”というお餅も食べました。塗ってる”じゅうねんみそ(甘味噌にエゴマが交ざってる)”がめちゃ美味しい([かわいい]


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本陣を復元して資料館にしてる。参勤交代の殿様も泊まったという立派なお宅。


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(松平容保公も休息されたかも知れない)上段の間。
余談ですが、(維新の悲劇の領主)容保公は130年経っても地元でめちゃめちゃ人気。地元の人に(八重の桜の)綾野剛クンがカッコ良かったと言ったら、「アンタ、それは本物がええ男だったからですよ!」と叱られた。「写真が残ってるから見てきなさい!」と。


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屋根裏には養蚕部屋。カゴに桑の葉をしいて蚕を育てる。


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その屋根裏の窓から覗いています。


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今までに見たこともない景観でした。インパクトあります。(観光バスが来る意味もわかった)


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<塔のへつり>


大内宿からさらに少し南に下ると<塔のへつり>に到着。


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”へつり”???? (読めない。この漢字[もうやだ~(悲しい顔)]


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要するに断崖絶壁の奇岩群のことかしらね。川岸に降りていくと確かに変わった岩のつらなりが見えてきました。


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こちらも紅葉が綺麗ですね。前日の雨で木々の葉が洗われたようです。もう少し冷えると雪になるんだろうナ。会津の季節は冬の一歩手前。左手の吊橋を渡ると、


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人の姿が小さく見えます。岩の洞の大きさがわかってもらえるかしら。濁流で侵食されたんでしょうね。洞の中は賽の河原のような景色。思わず手を合わせたくなる。


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地元では新たな観光名所にしようとしているらしい。


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<大川荘>


初日のお宿は”芦ノ牧温泉”の”大川荘”。大川という川に沿って、山側にへばりつくように建ってます。


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ツアー客も泊まるという大型の旅館。(この日も250人泊まってたそう)


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でっかいロビーと、


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大きなショップ。


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夕食後には餅つきのサービスもやってる。連れ合いも飛び入りで参加。突き上がったらきなこ餅にして振る舞ってくれたけどすごく美味しかったです。


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でも、一番ビックリしたのは、なんたってこれ!(夕食のマットの下に書いてた)


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わかります?有名な会津藩士の心得。什の掟。「ならぬことはならぬものです」


露天風呂に行ったら同年輩の女性と出会った。目の前の紅葉を見ながらふにゅ~と温泉[いい気分(温泉)][いい気分(温泉)][いい気分(温泉)]に浸かっていると「もう紅葉も終わりだねえ、山の上は雪だったよ」と話しかけられた。会津若松市内に住んでてリタイア後のご主人と福島県内の温泉巡りをしてるとか。息子は2人共東京で世帯を持ってるそうで、「マンションも買ったしもう帰って来ないよ。だって地元では仕事がないもん」と。大震災の時は福島に住んでたけど、息子たちが心配するので”新潟まわり”で東京へ避難したと言ってらした。


”什の掟”のことを尋ねたら、「もちろん!みんな知ってる。」という答えで、子供の頃から暗唱するそうです。息子たちも小学校から教わってるよと。「まあ、会津の精神というか、筋を通してきちんと生きろ!ってことだよね。凛としてろってことかしらね。あたしもそうやって暮らしたいと思ってるよ」と教えてくれた。ほわ~んとお湯[いい気分(温泉)]に浸かってたワタシもその時だけスッと背筋が伸びました。


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10月に読んだ本 [読んだ本]

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*感応の擾乱 亀田俊和


*明日の君へ 柚月裕子


*諦めない女 桂 望実


*徳川家康(1) 山岡荘八


*天下人の茶 伊藤 潤


*ダイヤモンドダスト 南木佳士


*半席 青山文平 

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10月に観たお舞台 [美術館 観劇]

*国立劇場10月歌舞伎公演「霊験亀山鉾」


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離島シリーズ第5弾 鹿児島へ <3日目 鹿児島市内 桜島 霧島神宮>宮 [旅行]

3日目の最終日も雨[雨]。まあ天気を見ながらぼつぼつ行こか・・と指宿を出発、錦江湾を右に見て南薩摩路を北上し1時間半くらいで鹿児島市内に戻ってきました。


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<仙巌園>


まず薩摩藩の大名庭園、”仙巌園”と、隣の”尚古集成館”へ。


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”仙巌園”というのは薩摩藩の別邸で、17世紀に19代島津藩主・光久によって建てられたそうですが、幕末の名君28代斉彬がこの地をこよなく愛したので薩摩藩の迎賓館としても使われ、ロシア皇帝やグラバーなどの賓客を迎えたそうです。


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斉彬が建てた工場群跡”集成館”が隣接しているので、園内に入ると復元された大砲やら、反射炉跡やら水力発電跡(白い塔)やらが展示されています。菊まつりが間近らしくて園丁さんたちはその準備に追われてました。


で、こちらが仙巌園の入り口。眼下の錦江湾を池に見立て、目前の桜島を築山と見立てたという雄大な借景庭園です


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ど~んと見えるはずの桜島は・・・・残念ながらこの日は雨で霞んでしまって・・・アカン[もうやだ~(悲しい顔)]


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赤い門(錫門)をくぐってお屋敷に入ります。この錫で葺かれた門をくぐれるのは藩主と世継子だけだったとか(他の人はどこから入ったんでしょうかね)


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丸に十の字の御紋が見えると「確かに薩摩やな」と思いますね。


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お庭から見たお屋敷。さほど豪華な造りにも見えないけど、がっしりしてる。




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近寄ってみると、


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けれども、お屋敷を取り囲む”庭園”はかなり広大で、手間をかけた贅沢なもの。とてもとても一大名の別邸のお庭とは思えない。

「薩摩藩主は大名というより”王”だったんだよなぁ・・」と連れ合い。


池あり、あずま屋あり、


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湧き水も豊富で川も流れ、


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”高枡(たかます)”という分水設備も設置してるし、


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中国から贈られたという竹林もあれば、


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神社もある。


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灯籠の寄進者には”調所広郷(ずしょひろさと)”(幕末の財政改革者・名家老)の名前もある。


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桜島を見下ろす場所には琉球王から贈られたという”望巌楼”が残ってた。


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中国の阿房宮を模したと言われる楼閣。床は大理石、扁額も王羲之の模写という優れもの。斉彬はここで勝海舟と会見したり篤姫を招いたりしたそうです。


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(おまけに)篤姫のロケで”小松帯刀”役の瑛太クンが駆け下りたという石段も残ってる[わーい(嬉しい顔)]


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随分楽しませてくれた”仙巌園”です。景観が素晴らしいだけでなく作園技術にも優れているし、中国や琉球と交じわっていた南国薩摩の立ち位置が実感できました。


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<尚古集成館>


その足でお隣の”尚古集成館”へ。


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ここなんですが、館内は撮影禁止。


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近代産業の必要性をいち早く察知した斉彬が、製鉄、紡績、大砲、造船、薩摩切子などの研究所&工場を築かせた跡地です。当時は東洋最大の洋式工場群だったそうです。斉彬の死後は財政難から一時縮小されましたが、薩英戦争後、その志を継いだ次期当主”忠義”と(忠義父の)”久光”が集成館事業を再開。当時の紡績機械や新式銃などが展示されています。


島津は名君を多く輩出した家柄だそうで、館内には鎌倉幕府の御家人以来700年の歴史を乗り切ってきたという自負や薩摩藩の正当性を誇示する展示と、幕末の三名君”斉彬””久光””忠義”の肖像画などを誇らしげに掲げています。


でもなんたって、”斉彬”の英邁ぶりは突出してると思い知らされましたね。


斉彬さんはこの黒田清輝筆の肖像画の方。器の大きそうな殿様ですね[わーい(嬉しい顔)]
(左は斉彬が下級武士から取立てて重用したという人。言わずと知れた西郷隆盛さん。来年の大河ドラマの主人公”せごどん”だから、またまた薩摩ブームになるでしょうけどね)薩摩の英雄はこの2人につきるみたい。


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集成館の展示室には斉彬の書簡が多かったのですが、随分筆まめな人、刻々と変わる状況をせっせと江戸や京にあてて自ら記しています。しかもすごい達筆!「思無邪」と書かれた軸には脱帽しちゃった!「思いに邪(よこしま)無し」と読むらしい。


なおかつ、孝明天皇からの勅をはじめ、篤姫や西郷、久光に当てた何通もの書状などを見ると、幕府や朝廷、体制や身分を問わず多くの人と積極的に交流したことが見て取れます。(ある意味、人たらしだったのかも知れないナ)


激動の時代の”情報戦争”という面は大きかったと思いますね。琉球を通じて東アジアの情報も続々入ってきただろうし、海外の要人とも積極的に出会ってます。どれだけ素早く世の中の変化を捉えるかがカギとなることをよくわかっていた人だったと思う。


斉彬の急死後、薩英戦争の敗戦直後に薩摩は留学生をイギリスに送ります。森有礼らまだ年端もいかぬ俊英たちは明治になってから大活躍します。ちなみにこの時留学生派遣を上申したのは薩摩藩士の”五代友厚”だったらしいのですが、斉彬の生前からの意志でもあったからと認められたそうです。


薩英戦争の敗戦で思い知らされただけでなく、”久光”や”忠義”にとっては”斉彬”の意志を継ぐということが何より重要なことで藩是でもあったんでしょう。(久光と忠義の)親子間の真面目な報告書簡も残されていましたね。


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連れ合いはこの写真をみて「敗戦後すぐに(留学生を)出してるのがすごいねえ。激動期には即決出来るリーダーでなきゃダメなんだ」といたく感心しておりました。


説明によると斉彬は曽祖父の”重豪”に可愛がられて育ったそうです。重豪は”蘭癖大名”と揶揄されるほどの海外好きだったそうで、斉彬が藩の枠を超えた近代国家を目指すようになったのも、薩摩という地理的な条件に加えて曽祖父の影響が随分大きかったと思います。


実際斉彬が藩主になったらまた財政危機が来るだろうと(先述の家老)調所広郷などは反対したといいますから、斉彬の”蘭癖”も相当なものだったんでしょうね。その”蘭癖”が維新の呼び水になったと言えますが、もし斉彬が急死しなかったら維新の構図が随分変わっていたんじゃないか、とも思わされます。急死が毒殺なのか病死か今でも専門家の間で意見が分かれているそうですよ。


連れ合いが好きなのは”薩摩切子”、ワタシが好きなのは”薩摩焼(藩窯)”なので、幕末のパリ万博に”琉球王薩摩太守”の名で出展された薩摩藩の工芸品もぜひ見たかったんですが、あまり残っていないようで、そっちはあきらめました。
これまで薩摩の工芸品を造らせた幕末のお殿様として斉彬公を見てたんですけれど、それだけではあまりに失礼だったとわかりました。


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<桜島>


鹿児島港のフェリー乗り場から桜島へ渡ります。フェリーは24時間運行してるらしいです。矢印に沿って走ってたら、あれよあれよという間に車ごと船に乗ってしまった。


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15分ほどで桜島へ着くと聞いてあわてて甲板の上に上がる。風が強くて立ってられない。船はすでに動いてるし・・・・。


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連れ合いに「フェリーが進むにつれて桜島がど~んと迫ってきてすごいぞ!」と聞かされてたのに、ぜ~んぜ~ん[ふらふら]


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「どこや?」


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「あれかい!」


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乗ってるのは(多分)こんなフェリーです。


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ぶっちょうずら([ちっ(怒った顔)])のワタシを見て連れ合いは「しようがないだろ、雨だもん」と。(わかってる、アンタの責任やないことは)


とりあえず、屋根のある桜島ビジターセンターに行って雨の様子を見ることに。


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島では港から歩いてすぐの場所で溶岩を見ることができる。どこでも溶岩がごろごろ転がってるわけです。


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対岸の鹿児島市内も指呼の間。雨でもみんな平気で足湯に浸かってる。


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展望台に行ったら火口も噴煙も見ることができると聞いて向かったけれど・・、


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やっぱり雨です。見えるのは霧ばっかり。寒いしネ、ナビ係(ワタシ)は機嫌が悪い。車の中でも無口になりがち([ちっ(怒った顔)])。


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桜島が海底火山の爆発で出来た島だと言うことはわかった。今でも噴煙をあげていて風向きによっては落ちてくる灰がすごい。各戸に灰袋が配布されてるらしい。写真は仙巌園に置いてた克灰袋。(さいわいこの日は灰は降ってきませんでした)


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桜島はもとは錦江湾にぽっかり浮かんでる島だったらしいけど、大正時代の大噴火で火砕流が海に流れ出し東側の大隅半島と陸続きになったそうです。
だから、フェリーで鹿児島まで戻らなくても車で大隅半島へ渡れます。この”牛根大橋”を渡った先が”たるみず”という地区。当然、大正の噴火では多大な被害を被ったそうです。


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たるみずの道の駅で一休み。振り返ってみたけど桜島は雨雲の中。


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薩摩の焼酎が売ってる。(買わなかったけど)


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この地は”垂水”と書くんですが、関が原の戦いのあと島津義弘を頼って岡山から逃れて来た宇喜多秀家が匿われていた場所なんですって。(島津のとりなしで秀家は死罪を免れ八丈島に流されたそうですが)当時はまだ陸続きじゃなかったので秀家は小舟を仕立てて入って来たそうですよ。地元ではこの伝承が大事にされていて、秀家と(妻)豪姫の人気も絶大らしい。


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<霧島神宮>


さて、旅の最後は”霧島神宮”で〆。正直言うと時間調整なんですけどね。
今度は錦江湾を左に見て大隅半島の西側をひたすら北上。霧島市に入りました。


実は鹿児島空港のレンタカーの営業所で「霧島方面は行かれないほうがいいですよ。先に行かれたお客さんは灰かぶりで車がひどいことになってましたから。」と言われてました。「イヤイヤ、指宿に下がるから大丈夫。」なんて答えながら出発したんですけど、結局霧島に行くことになった。例の、霧島山”新燃岳”の噴火の話ですよ。(噴火中だった)


ただ、霧島神宮は”新燃岳”からはかなり離れてるので、立ち入り禁止区域ではありません。全くなんの支障もなく到着しました。(まあ、雨のせいか噴火のせいか、だだっ広い駐車場には数台の車しか停まってなかったけど)


何の予備知識も持ってなかったので「へえ~、こんなお宮さんか」と思いつつ行くと、


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参道も長くて立派でオドロキ。


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巫女さんや神主さんの姿も多く見かける。


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新婚旅行で訪れたこんな人たちもいてる。(にやけた竜馬)


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鳥居をくぐっていくと、「ギョギョ!」すごい立派な社殿。屋根が三層になってるやん!(本殿、幣殿、拝殿)


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本殿までの登廊下の長いこと!


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ご祭神は”ニニギノミコト”。日向の高千穂の峰に降り立ったという天孫降臨の主人公。アマテラスの孫です。合祭されているのは妻のコノハナサクヤヒメ。


余談ですが、古事記や日本書紀によると、このニニギさん、イヤミな男で、一夜契りで身ごもった妻に「自分の子ではないだろう」とか言うんですね。そこで疑いを晴らすためにサクヤヒメさんは産屋に戸を立て火を放ち、ホホヒデノミコトなど3柱を火中で無事産み落とすんですが「そこまでするかよ[ちっ(怒った顔)]!」って感じ。
ニニギさんは後から「自分は君を信じてたんだけど周りがうるさいので天孫の力を証明するためにわざと疑ったふりをしたんだ」とかなんとか言い訳するの。古代神話の神様はむちゃくちゃなんが多いし、学者たちはその一言一言に意味づけしようとするけど、こんなん只のサイテー男[ちっ(怒った顔)]



お社は霧島山の噴火で度々焼失し島津家がそのつど再建したそうで現在の社殿は18世紀のもの。国の重要文化財に指定されてます。


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にしても、朱塗りも新しくてピカピカ。新神楽殿とやらもめちゃ豪華だし。


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よっぽど集金力があるんやろな。でないとこんな立派にできひんやろ、と思いますよ。


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ここにもチャイニーズの観光客。(どこに行ってもおられますねえ。)


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もういちど天気の良い時期に訪れたい鹿児島です。


 

















































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離島シリーズ第5弾 鹿児島へ <2日目 屋久島(白谷雲水峡)> [旅行]

2日目の朝、指宿港からジェットフォイル(トッピー)に乗っていよいよ屋久島へ上陸。(指宿~屋久島間は高速船で1時間15分。運賃は往復2人で2万2千円ほど)


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事前に調べてみると個人旅行の「日帰りコース」はなかなか面倒だということが判明。指宿~屋久島間の高速船は往復とも一日に一便しかない。行きは指宿発8:30分、帰りは屋久島(宮之浦港)発16時のみ。しかも(10時AM頃からの)短い滞在ではどの現地ツアーも使えないとわかりました。


観光協会に尋ねると、島の観光スポットを周るには時間がかかるし足もない、トレッキング中心なので、レンタカーにするか専属ガイドをつけるしかないですねと。短時間コースの「白谷雲水峡」がお勧めですと言われ、専属ガイドさんを依頼する(2万円)。船の時間にあわせて宮之浦港まで送迎してくれるし、ワタシの足(どれだけ歩けるか)をみながらペース配分もしてくれるというので願ったりかなったり([手(チョキ)]


でも天気だけはどうにもならない。[雨][雨][雨] この日は波も高く高速船は”条件付き運行(危険なときは引き返す場合もある)”です、と念をおされ、屋久島の宮之浦港に着いたらすでに雨。


”やっくん”が出迎えてくれたけどイマイチ気勢があがらない。


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ちなみに屋久島の野生動物の固有種はヤクシカとヤクザルだけだそうで、イノシシとかクマはいない(ヤクラブラドールもいない?)そうです。この日は一瞬だけヤクザルの姿を見つけました。


山々にも低い雲が立ち込めてめっちゃ視界が悪い。迎えの車に乗ってホッとしたら「船が着くかどうか心配してましたが、まあ行けるところまで行ってみましょうか」とガイドさん。


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スーパーでお昼のお弁当を買って「白谷雲水峡」の入り口まで連れてってもらう。山を登るにつれて雨足も強まってくる。入り口付近の川はすでに濁流です。


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入山管理小屋の人にも「今日はほとんど歩けませんよ、道が川になってますよ」と念をおされ、ガイドさんにも「警報がでてもおかしくないんですがねえ・・・。増水時は危険で立ち入り禁止が多いですが・・」と言われながら、こわごわの初トレッキング。「足元すべりますから気をつけて!」注意されながら、どしゃ降りの中を歩き始めます。


いたるところから沢の水がしぶきを上げながらゴーゴーと溢れ出してる。


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「普段はこんなところに水が出てないんですけどねえ・・・」と。でも雨だからこその景色を眺められます!
白い水があちこちから流れ落ちる様から”白谷雲水峡”と名付けられたそうです。


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ずぶ濡れの修学旅行生とすれ違いました。10人くらいのグループ。「きちんとした雨具を持ってないからねえ。明日も高校生を案内することになってますが・・」とガイドさん。でも若い人たちは元気です[わーい(嬉しい顔)]


屋久島は隆起した花崗岩によって出来た険しい山々がそびえ立つ島です。地面の土が少ないそうですが、島の周りを流れる黒潮が蒸気を発生させ雲となり険峻な山にぶつかり多量の雨を降らせ、硬い岩盤の上に水分を多く含む苔がまず生えて、その苔の上に樹木が根を張る、という珍しい自然現象が起こるそうです。位置は亜熱帯なんだけど山の上の気候は北海道なみで雪がふることも珍しくないそうです。


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「白谷雲水峡」は標高が1000メートル足らずですが、屋久杉などの原生林を容易に見ることができ、宮崎駿監督が好んで訪れ”もののけ姫”の舞台にも使ったという場所で、昨今人気上昇中のスポットなんですって。


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綺麗だなあと思った所をカメラに撮ってくださいと言われたので、「はいはい」と撮したけれど、あとで写真を見たら、実際の景色の迫力とはまるで比べ物にならない。その上、大雨と沢の水音で話し声も聞こえない、レンズには雨がかかるし、傘をさしながらの必死の撮影だし、足元はビショビショだし、泣きたいほどだったけど、当然その”苦労”は写ってません!


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沢の水が飲めるから大きなペットボトルは必要ないって聞いてたけど、あまりの激流は溺れそうで(実際流された人もいるとか)とても飲んでる場合じゃないデス。

 

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大きな杉の木を見かけますが、1000年以上育った杉の木を「屋久杉」と呼ぶそうでそれ以下だと「小杉」っていうそうです。7000年の寿命とか聞く有名な「縄文杉」は本格的な登山でないと行きつけないけど、白谷雲水峡にも3000年以上たったという「弥生杉」がありました。


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ガイドさんに撮ってもらった記念写真。(足元はどっぷり水の中。顔で笑って[わーい(嬉しい顔)]心で泣いてます[もうやだ~(悲しい顔)])東京から持っていったウォーキングポールがいちばん役に立った!


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ただし、屋久島が世界遺産に認定されたのは”杉”じゃなくて、”照葉樹林”と”苔”の宝庫だからだそうです。落葉樹はほとんどない。ブナは一本もないそうです。


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岩の上の苔からも水がしたたり落ちてます。


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人の手が入ってない原生林と言っても、江戸時代には薩摩藩への年貢として屋久杉が切り出されたそうで、その株がいまでも残っています(下の写真)。「すべて手作業で、太い幹を”斧”で切り出したそうですよ。丸太では下ろせないので、その場で皮をはいで下まで担いで降りたそうです。」とガイドさん。(杉皮は屋根板に使ったんでしょうね)昔の人はすごいなあとガイドさんは言ってた。ワタシは(奄美でも聞いたけど)薩摩藩は島々にまで過酷な年貢を課したのかとそっちの方が印象深い。


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お弁当を森の中で食べる予定だったんだけど腰を下ろす場所もない。これ以上は立ち入り禁止というところから、入口の小屋まで引き返し雨を避けてのランチ。新しく買ったトレッキングシューズがびしょ濡れになった連れ合いは「ガイドさんは長靴だったなあ」としきりにぼやいておりました([わーい(嬉しい顔)]


土砂降りの雨だし帰りの船が出るかどうかもわからなかったので、他のスポットをまわるのもあきらめ、里に降りて”屋久島文化村センター”に案内してもらってから、早めに港へ連れてってもらって帰りの船を待ちました。やはり”条件付き運行”とやらの高速船でなんとか指宿まで戻り、まずはメデタシメデタシ。(当然、砂風呂へ直行)


[るんるん]ああああァ~ 屋久島はァ~ 今日もォ~ 大雨だったァ[るんるん]







 








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離島シリーズ第5弾 鹿児島へ、<1日目 知覧・指宿> [旅行]

離島シリーズの第5弾になりました。今回は連れ合いが以前から行きたいと言っていた”屋久島”です。①五島列島&壱岐&対馬、②奄美&加計呂麻、③南西諸島(石垣&宮古)、④隠岐諸島、に続いて⑤屋久島です。


ご存知の方も多いと思うけど、世界遺産の”屋久島”は島全体が険しい山々なので、有名な縄文杉まで行き着くには上級登山者でも大変だという話。もちろん登山などやったこともないワタシは到底ムリムリと思ってました。


ただし高齢者向けに「歩かなくて済む屋久島ツアー」なんていうのも売り出されているからそれもありかなと調べてみたらとにかく値段が高い!「そこまでして行くかぁ・・・」と思って尻込みしてました。

 

でも諦めきれないのは連れ合い。新聞で”格安2泊3日九州ツアー(飛行機&宿&レンタカー)”というのを見つけて、「指宿で泊まって日帰りで屋久島はどうだろう?」と提案してきました。それなら2人分でも9万円ちょっとだし(結局、何やかやで20万円ほどかかったけど。)指宿に泊るなら”知覧特攻会館”にもまわれるし・・・と食指がわいて「なら、行くべ。」という次第になった。


でもお天気は最悪[もうやだ~(悲しい顔)][雨]秋雨前線が居座ってるし台風も近づいてきてますしね。(10月は旅行シーズンなんて誰が言うてんねん!)


先週の17日(火)に出発、3日間どこへ言っても雨マーク[雨][雨][雨]。特に”屋久島”は大雨で入山警報が出るかどうかという瀬戸際の天気。一応雨具やトレッキングシューズは用意していったものの全身ビショ濡れで”水もしたたるイイ男と女”になってしまった[もうやだ~(悲しい顔)][もうやだ~(悲しい顔)]


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初日は羽田からJAL便で鹿児島空港まで。この日はまだ小雨だったので知覧にまわって指宿までの旅程もまずまずこなせた([手(チョキ)]


空港近くでレンタカーを借りて九州自動車道に入り”指宿スカイライン”という有料道路で”知覧”に向かいます。後から教えてもらったんだけど地元では有料道路なんか使わないのね。一般道でも時間的には変わらない。スカイラインなんて名前はいいけど要するにクネクネの山道です。(霧が深くて危ないからやめておけと言われた)


まず「知覧武家屋敷」へ。国の”重要伝統的建造物群保存地区”&地区内の七つの庭園は”名勝”に指定されてるとか。


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薩摩藩は広大な領地を110余りの地区に分け(外城)、各々武士集団を配置し分散統治をしたそうですが、その一つが(島津家の分家)佐多氏が地頭として治めたここ"知覧”だという説明でした。


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道理で、”佐多”さんの表札がかかったお屋敷がいくつもある。


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佐多氏は優れた領主を多く出した名家だそうで、残っている武家屋敷群も17~18世紀のころの領主佐多氏&重臣のお屋敷が並んでいる所だそうです。


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薩摩の”外城”の典型的な造りだそうで、折れ曲がった本馬場通りに沿って、見事に手入れされた石垣と生垣がずらっと並んでいます。


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タイムスリップしたような懐かしい気分。


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現在も実際に住まわれているお宅が多く、公開してるのは七軒のお屋敷(&お庭)のみ。


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”男玄関”(ここから入れるのは家の当主と長男だけ)と、


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”女玄関”とに分かれています。


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「さすが、薩摩隼人の国や!」と思わないではなかったけど”薩摩おごじょ”という言葉もありますよね。薩摩の女性は芯の強い人が多いとか聞いたこともあるし、実権を持っていたのは案外女性かも(?)


南国ですねえ。どことなく琉球の家と似てる。開放的な間取りや、


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ヒンプンに似た中門など。


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(お庭の保存維持にはかなりの費用がかかっているはずですが)上級武士と言えどもお屋敷自体は質素だなあという感想。大河ドラマの”篤姫”は薩摩の支藩・今和泉家の姫という話でしたが、たしかにこういうご実家でしたネ。


この静かなたたずまいは(住んでおられる方は大変でしょうが)他ではなかなか見られない、貴重なものだと思います。


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「知覧特攻平和会館」へ。


武家屋敷通りからほどなく到着。


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こちらが平和会館です。(中は撮影禁止)


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知覧は昭和20年、本土最南端の陸軍特攻基地となり、終戦間近の短期間に多くの若者達を即戦力の特攻隊員として出撃させた場所です。館内には出撃していった若者達の遺書や遺品、特攻機などが展示されています。


1000人以上、すべての特攻隊員の遺影(ほとんどの人が笑顔)が死の無念さを突きつけてきます。当然ながら出撃の時期が偏っていて(20年の5月とか)もうちょっとで終戦だったのに・・・と悔しい。


少尉とか中尉とかが多いなあと思ってたら死後に階級を特進させたらしい。いろんな遺書が展示してあるんだけど、父母への御恩に感謝するとか、国を思い家族を思う優等生的な内容が多い。”きけわだつみの声”的な文章は見当たりません。
もっと反戦色が強いのかと思ってたけど、受け取りかたによっては、若者の純粋さを美化するような危うさも感じられました。


出撃前夜に隊員たちが寝泊まりしたという当時の兵舎(復元ですが)を見たときはさすがに息苦しくなりました。


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目立たぬように地面に埋め込んであるんですね。


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部屋の中です。


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館内で売っていた”知覧茶”を買いました。知覧茶はワタシの好みです。


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指宿に着いたのは夕方。やはり小雨模様です。宿は期待してなかったけどまあまあ。


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部屋から見えた錦江湾。向かいは大隅半島です。


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翌日は屋久島に渡ります。お天気は大丈夫かなあと案じながら、宿にある”砂蒸し風呂”で身体を休めました。砂浜に敷設してる”砂蒸し風呂”は初体験だったけど、下肢血流障害のワタシには下半身がポカポカ温められるのがすごく気持ちよかった。20分くらい入っててもOKでした。(砂が熱いからとすぐに出る人もいます)


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写真はイメージの参考までに。(お借りしたもの)


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運慶展 [美術館 観劇]

最近の美術館はとにかく混む!東博の”運慶展”も早く行かなくちゃと案じてましたが、連れ合いが車で行くというので便乗。朝イチで着いたからさほどの混みようではなくてホッ!


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数年前まではこんなヒドい混みようじゃなかったと記憶してるんだけど、団塊の世代がどっとヒマになったせいね。小さい頃からやたら人数が多いワタシたちですけど、老後になってからも思いがけないところで影響を受けるんだなと、笑うっきゃない!


それにしても「よくこれだけのお宝を集めたなあ!」というのが正直な感想。父の康慶から息子の湛慶たちまでを含めても40点足らずの展示ですけど、そのほとんどが国宝か重文指定を受けています。”興福寺中金堂再建記念特別展”と銘打っているので興福寺(北円堂の無著世親と南円堂の四天王が出てた!)はうなずけるとしても、円成寺や願成就院、清水寺などの仏様も一同に勢揃い。いやあ、ビックリしました!


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今年は奈良で"快慶”展、東京では”運慶”展と、国立博物館のリキのいれようは凄まじい。もっとも”慶派”の人気もそれだけ凄まじいといえますが。


運慶大好き人間の連れ合いにつきあってあちこち出歩いてるので、大方の運慶仏は拝観させてもらったはずでしたが、「こんなに間近でしげしげ見せてもらっていいの?」と思ったほど。しかも、展示会場からはみ出さんばかりの大きさ。これでもかこれでもかといわんばかりの迫力でしたから、今回新たに目についたこともある。


CCF20171006_00000 (336x480).jpg(円成寺 大日如来)


とりわけ印象深かったのが運慶仏のお顔”表情”が際立っていることでした!奈良仏師の特徴は口の彫りの深さだと解説にありましたが、(父親の)康慶の作ではまだ輪郭がうすいのに、運慶となると口まわりだけでなく表情全体の実写がくっきりしてきます。特に例の”玉眼”水晶玉を用いた眼力の鋭さは並大抵のものではありません。(そんなこと昔から言われてたのになあと自分が情けない)


これまでは(東大寺の)仁王門の運慶という印象が先に立って、写実的で肉感の強調された力強い裸体彫刻という点にばかり目がいっていたんですけど、そういう見方を一度はなれてみると、繊細なノミ跡からいろんな運慶が浮かんできます。筋骨隆々の仁王さまよりむしろ慈悲にあふれる大日如来や地蔵菩薩のお顔のほうがより運慶らしく思えてもきます。


教科書では運慶の出現によって武士の世にふさわしい躍動的な仏像彫刻が生まれたと習ってきましたし、確かに運慶も北条時政など鎌倉武士を施主として関東でも仏像を手がけていますが、そんな単純な話ではなさそうに思えてもきました。


運慶は”保元の乱”の頃に生まれて”承久の乱”の直後に亡くなっています。平安末期の源平の戦いを経て、貴族と武家政治の交代期、国家守護の仏教から新興仏教の起こりと、末法思想を背景にした動乱期の真っ最中です。


現世は混沌として未来に救いが見いだせない人々が(貴賎をとわず)仏に求める祈りは現代人が想像も出来ぬほど強烈なものだったでしょうし、様々な階層の施主(南都の寺、鎌倉御家人、勧進聖重源、朝廷・貴族)に応えるためにも仏師(僧)運慶は真に信仰の対象となる仏さまを掘り出す必要に迫られたはずだし、そのための努力を惜しまなかったことでしょう。


運慶仏の幅の広さは施主の幅の広さとイコールではなかったかと思います。仏像彫刻の革命とも言われる慶派の写実表現は、実際に拝む人たちからどのように見える形がベストか、信仰の対象としてどのように見せればいいのかを追求した結果だったようにも思います。


ルネッサンス期のミケランジェロなどと並び称される運慶ですが、実は実際の人体構造ではあり得ない表現が多いそうで(特に強調したい部分を継ぎ足したりヒネリを加えたり・・)「無著・世親」(の実在した僧像)も普通の人間よりずっと大きく偉大さを強調しています。運慶は実写に見せながら実写を超越した異形を衆生の信仰の対象として見せているんだと思います。


CCF20171006_00001 (332x480).jpg(無著像)


その意味では”表情”もやはり人間のもののように見えてそれ以上のものなんでしょうね。ワタシ的には今回”八大童子(の六体)”が揃って拝めたのがなにより嬉しかったけれど、この童子たちの仕草はモチロン、表情の豊かさはいくら賞賛しても足りないくらい。かなりの誇張があるとも見えますね。


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運慶は青年時代に南都焼討の無念さを直接経験していますから、東大寺や興福寺の平城仏の修理が最優先の仕事でした。快慶展でも再確認したんですけど、この時代の仏師は職人ではなく”僧侶”であり敬虔な”仏教徒”です。


南都焼討の2年後に発願された有名な”運慶願経”も展示されてましたが、願主は慶派の棟梁としての”僧”運慶となっていて、巻末の結縁者には快慶ら一門の仏師の名前が連なっています。しかも願経の巻軸には焼け落ちた東大寺の柱木を使っていて僧運慶の悔しさやみ仏への一途な想いが伝わってきます。


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運慶研究の新しい知見もとりいれての展示でしたから、(興福寺の)仏頭が展示されてたり、現在(興福寺)”南円堂”に祀られている慶派の四天王は、当初は”北円堂”のものだったという新説に基づいて無著・世親と一緒に再現展示されてたりと、興味深い指摘も多くて飽きさせません。この四天王は運慶指導のもと、息子たちが手掛けたとされていますが、動きが大胆で軽やか、表情が凄まじくて大きなギョロ目で見下ろされてるとすくみあがってしまう。甲冑の翻りなども大迫力!


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東大寺の戒壇院の四天王を基にして運慶一門が南都再興の一翼を担った大仕事ですけど、同時に展示されていた”海住山寺”のミニチュアの四天王像がとても素晴らしかった!当時の鮮やかな色彩と文様をそのまま残していてこれが四天王の小型モデルじゃないかと思わせました。


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ワタシが一番好きな”光得寺”の大日如来像にも再会。お厨子の中の30センチ足らずの大日如来様は台座(取り囲む獅子も)や光背にいたるまですべて当初のまま残っている貴重なものです。願主が足利義兼だということもわかっている。まさか義兼公が京からお厨子を背負って来たんではないでしょうね。繊細な彫りが印象的で小粒ながら堂々たる威厳の見事な如来像です。


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思い出した。滝山寺の”聖観音菩薩像”の前で小さいこどもが「後ろに蜘蛛の巣がついてる!」と。「あれは光が出てるんだよ。”こうはい”っていうの」とお母さん。蜘蛛の巣かあ、言い得て妙だなあと感心しちゃった。


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滝山寺の観音さまは明治に彩色を施されてるので他の運慶仏とは異質な感じがするんですけど、後代作と思われてきた”光背”や”宝冠”は当時のものだと判明して、この日はすべて身につけておられましたのでより一層艶やかさが増してました。


運慶を継承する湛慶の”神鹿”とか”子犬”、康弁の”天燈鬼”など、見るべき像が目白押し。可能ならば何度でも足を運びたい展覧会ですが、会期も短いし、これから行っても人の背中ばかり見てることになるでしょうね。





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国立劇場歌舞伎10月公演「霊験亀山鉾ー亀山の仇討ちー」 [美術館 観劇]

今年も国立の歌舞伎公演が始まりました。この秋から来年春まで毎月座頭が交代して国立ならではのチャレンジングな舞台が続きます。


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先頭を切ったのはこのチラシの通りの仁左衛門さん。秀太郎、孝太郎さんの”松嶋屋”一門に、又五郎さんや歌六さんの”播磨屋”がからんで厚みのある配役になりました。

”亀山仇討ち”は(鶴屋)南北もので、とにかくいたぶり殺しまくるお芝居。仁左衛門は国立では”合法衞(がっぽうがつじ)”以来の悪役で颯爽と登場。苦みばしったイイ男が悪役にハマってくれるんですから面白くないわけがない!友人に「孝夫さんが出てれば何でもOk」という仁左衛門フアンがいますけど彼女が見たら大喜びするであろう男ぶり。


仁左衛門さんは最近ちょっと足腰が心配気味の舞台だったんですけど(黒子さんに座椅子を用意させたり・・・)今回はすっかりお元気のようでキビキビした所作。ワタシとほぼ同年代のはずだけど(ひょっとしてヨガでもやってる?[わーい(嬉しい顔)]

安倍川返り討ちの場での”だんまり”は、役者絵を見ているよう。こうした場が歌舞伎の真骨頂で、所作の柔らかさには惚れ惚れしましたねえ。ルックスにも声にも恵まれた華のある役者さんです。


舞台に本物の雨を降らせたり、燃えさかる棺桶から飛び出したりと(幽霊こそ出てこないけど)南北らしいケレン味たっぷりの舞台装置。通しで理解できるように国立のスタッフが補綴してますが、すんなり筋が飲み込めるという所までには至らない。一幕一幕の役者さんの奮闘を味わうしかなさそうでした。


仁左衛門さんは時代物(藤田水右衛門)と世話物(隠亡の八郎兵衛)の二役を早変わり。へえ~っ、隠亡(おんぼ)ってこういう字を当てるのか。(火葬場で死体を焼いて処理する人のことです)

大名跡の役者さんの中でもこの方はニヒルな悪がよく似合う人だと思いますが、
時代物の悪人の侍より世話物の町人のほうがカッコ良かったですね。最後に仇討ちで成敗される水右衛門は、卑怯な手を使って善人を次々に返り討ちにするんですけど、さほど大悪党には見えない。たぶん”南北”の筆にムリがあるんですね。


写真上は雀右衛門さんの芸者おつま相手に本物の水しぶきが上がる焼き場での絡み場面(八郎兵衛)と、写真下方水右衛門が棺桶から飛び出す場面。


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さて、いつもいつも思うことですが、中村又五郎さん(播磨屋)は奴をやらせたら天下一!この方の舞台にたいする生真面目さは特別ですね。身体の柔らかいこと、軽いことといったら。その上台詞まわしがバツグン。彼が登場した途端にピシッと舞台が引き締まってお芝居を安心して楽しめる。こういう名役者がおられるから主役の仁左衛門さんが映える!


そうそう名脇といえば秀太郎さんの”貞林尼”も秀逸。愛嬌のある武士の後家を見せてもらって泣き笑いでした。愛之助さんのお義父上ですネ。昔、学生時代に京都南座でアルバイトしてたころ、まだ若かった片岡三兄弟が楽屋を走り回っておられたものでしたが、随分時間が経ってしまった。上方歌舞伎をずっと支えてこられたご兄弟です。


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山形へ(4) 3日目 出羽三山~山形駅へ [旅行]

最終日は出羽三山へ。羽黒山の”国宝・五重塔”、月山の八合目”弥陀ヶ原”、羽黒山の三神合祭殿へお参りの後(二時間半ほどかけて)山形まで戻り新幹線で東京へ帰るというコース。


銀山温泉を朝早く出発して(前日の)最上川を横目に見て、さらに西(羽黒山)へ走ります。


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途中で”庄内町”を通った。これから刈り入れなのね。庄内平野の黄金色の田圃がずっと続く。


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ワタシは毎年庄内町の”日本一おいしいお米コンテスト”というイベントに参加してるので親近感のある町なんです。車で駆け抜けただけだけど武家屋敷のような家々が立ち並び落ち着いた景観がとっても印象に残る町でした。藤沢周平の世界?


米沢で借りて山形で返すというレンタカーは重宝したけど、高速道路がほとんど使えないので時間の計算ができない。(車は余裕を見ておくほうが無難)夕方の新幹線に間に合うためには午後早くに出羽三山を発たねばならず「リンゴ狩りもしたい」だの「黒川能の資料館にも・・」だのと思ってたけど、そんな時間はまったくなかった。


出羽三山とは山形の西北にそびえ立つ”羽黒山”と”月山”と”湯殿山”の三つの山の総称。
いずれも山岳信仰の修験道のお山で、羽黒山では現世の幸せを念じ、月山では死後の安楽と往生を祈り、湯殿山では来世の生まれ変わりを祈ると、それぞれの役割をもっているそうです。自分を見つめ直す神聖な場所だとか。


もちろん、芭蕉は自分の足で三山に登って名句を残していますが、ワタシ達は横着して車で行っただけで、湯殿山までは登れなかったし、自分を見つめ直すことも難しい[もうやだ~(悲しい顔)]


ここにもいらした芭蕉翁。


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<涼しさや ほの三か月の 羽黒山>とか、

<雲の峰 幾つ崩れて 月の山>とか、

<語られぬ 湯殿にぬらす 袂かな>とか・・・です。


でもそこはそれ良くしたもので、ワタシのような人のために、便利(?)な”三神合祭殿”が羽黒山頂にあって、そちらにお参りすると三山の神様すべてにお参りしたことになるらしい。しかもこのお社までは車で行けるんですよ。


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立派な茅葺きの大屋根でしょ。真ん中が月山、左右に湯殿と羽黒の三神が並んでおられます。ちゃっかり出羽三山の御札も買ったワタシ。


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印象深い鐘楼でした。屋根は独特の形です。


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ツアーではここにはお参りすることになってましたが、国宝の五重塔は旅程に入ってない。(五重塔と合祭殿の間は50分ほどかけて杉並木を歩かなくちゃならないらしい)それが不服で自分で組み立てたんですけど、たしかにこの神社に参拝だけだとラクチンです。


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で、モチロン目当ての五重塔へ。三神合祭殿から50分かけなくても、(別のコース)麓から五重塔への石段が続いています。まず、この羽黒山随神門をくぐると・・・

 

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目の前に杉並木(&石段)があらわれ・・


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すぐさま深山幽谷の地に入り、清浄な空気にふれることができる。


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祓川にかかる橋の上にはなぜかこんな方もいらっしゃいましたが(?)


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1000年以上を経た”爺杉”もあって、


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まもなく(10分も歩いたか)木々の間からそれらしい塔が見えてきた。


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めちゃ感動ものでしたよ!とってもきれいな形をしています。三間四方、こけら葺、素木(白木)のままの素朴な造りですけど、周囲の木立の間に”凛として”佇んでいる姿は圧倒的な存在感。清々しい気分になります。


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平安時代に平将門によって建立されたと伝わっているそうですが、文献では室町期だと判明しているとか。東北では一番古い年代の塔として国宝指定されています。


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当然仏教建築ですが、廃仏毀釈の明治以降は祭神が”大国主命”となったそうで、それもめずらしい。「ツアーじゃなくて良かった、やっぱり来てみてよかった」と実感。


この杉並木を登っていくと先程の三神合祭殿に行き着くらしいけどワタシはパス。


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月山の八合目までは車で行けると聞いて、羽黒山麓のビジターセンターから入る山道を登ってみました。あとでチェックしたらこの山道の写真を一枚も撮ってないことに気がついた。(ドライバーの)連れ合いだけじゃなく(ナビ係の)ワタシもかなり緊張してたのね。


それほど細いクネクネ道でした。しかもヘアピンカーブで観光バスと4回もすれ違った。イヤ、すれ違いできないので、毎回こちらがバックして道を譲るわけです。道幅が狭いだけでなく路肩も危ないしカーブミラーも機能してない。それでも「休日は渋滞します!」と書いてあったので「エッ、渋滞?この道で?」わけわからん?


で、やっと月山の八合目の駐車場に到着。車道はここで終点。バスが運行してるのが驚き。一日一本くらいでしょうかね。頂上まで行く人はここに車を停めて登るらしい。


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八合目から下界を望んでいます。


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八合目には”弥陀ヶ原”という湿原が広がっていて遊歩道で散策ができる。


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でもその前にレストハウスで腹ごしらえ。


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月山カレーを注文したら「単なるカレーですけど・・・」と言いながら店の人が運んで来てくれた。なるほど[わーい(嬉しい顔)]


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「こんな山の中でランチできるだけでもありがたいよ」と連れ合い。まったく同感。


さて弥陀が原の散策を始めます。”草紅葉”というそうですが湿原はすっかり秋色。ポツンと見えてるのがレストハウス。


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「弥陀ヶ原の貸し切りだよぉ~」と叫んでみた。


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奥の方、てっぺんが見えてるのが月山の山頂だと思う。


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途中で足が疲れてしまって「ワタシはいいからどうぞ行って来て。」と連れ合いと分かれることにした。


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ひたすら歩くより、足元の小さな花を探しながら歩くほうが、ずっと楽しい。


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リンドウとアザミくらいしかわからないけど。。。


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で、ハッと気がついたんだけど、連れ合いは目標にむかって一直線に行くタイプ、ワタシはあちこち寄り道しながら経過を楽しむタイプやなと。(半世紀近く夫婦してるのに今更気がついてどないやねん!)

ほどなく連れ合いは「登山口まで行ってきた」と満足気に戻ってきました[わーい(嬉しい顔)]

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山形駅で駅弁を買って車内で食べる。


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新幹線が発車する頃は夕陽が沈む直前でした。


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月山の方向を見てるはずなんだけど、どの山なのかわからないのが辛い[ふらふら]


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山形へ(3)2日目 山寺~最上川下り~銀山温泉 [旅行]

2日目からは”おくのほそ道(芭蕉の足跡)”をたどる旅。再度我が旅程地図を確認すると・・・蔵王から北上して山寺、最上川、出羽三山とまわります。(すべて山形県内)


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尾花沢の「芭蕉・清風記念館」にも立ち寄り。ところが間の悪いことに12月まで臨時休業中。


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せめて芭蕉さんの像だけでもと撮影。


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芭蕉は曽良とともに陸奥(平泉)から出羽へ山越えをして、ここ尾花沢で地元の豪商”鈴木清風”の世話になり10日間ほど滞在している(ことになっている)。


すっかりくつろいだ風情の<涼しさを 我が宿にして ねまる也>という句や、清風が最上紅花をあつかっていたからでしょうか、<まゆはきを 俤(おもかげ)にして 紅粉(べに)の花>という句も詠んでいます。


芭蕉によれば「~かれは富めるものなれども 志いやしからず~」と清風を手放しで褒めてます。その清風屋敷跡に建っているのがこの資料館、なんですが、休館では仕方がない[ふらふら]


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その後「~人々のすすむるによりて~」わざわざ「尾花沢よりとってかえし~」「其の間七里ばかり」の山寺(立石寺)に寄り道しています。
その立石寺でかの名句、<閑さや 岩にしみ入る 蝉の声>が生まれるわけです。


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ワタシたちも山寺(立石寺)を目指します。宿坊に一泊した芭蕉には申し訳ないけれど、車だと30~40分ほどで到着。門前に一番近い”ふもとや”さんに駐車させてもらって、山麓の根本中堂にお参りしてから早速登りはじめました。


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ここにもいたいた、芭蕉と曽良。門人曽良の奮闘なしでは芭蕉の長旅は続けられなかったでしょう。「ご苦労様です、曽良さん。」


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立石寺は9世紀初めに円仁が開いたとされる天台宗の古刹。(比叡山を小型化したような感じ)山岳仏教・修験道のお寺なのね。”山寺”といわれるように大きな岩の上に幾つものお堂が建っています。奥の院まで上がろうとすると1015段の階段を登らなければなりません。

(写真は麓の”芭蕉記念館”から撮った山寺の全体像。感じがわかるかな?)


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おくのほそ道では「~岩に巌をかさねて山とし 松柏年旧(ふ)り 土石老いて苔滑らかに~(中略)~佳景寂莫(かけいじゃくまく)として 心すみ行くのみおぼゆ~」と記されています。(さっすがあ!簡潔にして要を得た名文[ひらめき][ひらめき]


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芭蕉さんの見た景色をワタシも見たいとの一心で階段を登りました。ゴツゴツした岩場ばかりで、もし雨の日だったら「苔滑らかに」足元が危ない。


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途中にあった”せみ塚”です。句を短冊に書いて塚の下に埋めたそう。


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この日も蝉の声が聞こえてました。が、元気すぎる蝉で”しみ入って”こないし([わーい(嬉しい顔)])雑念だらけの身としては”心すみゆく”境地にもなれない([もうやだ~(悲しい顔)])。


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仁王門をくぐって、


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やっと”開山堂”と”納経堂”が見えてきた。こちらの景色は最高!(ここまで700段ほど)


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この先の右手奥の”五大堂”に登ってみました。岩盤の上に突き出ています。


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この眺めは(たぶん)芭蕉さんの見た景色とそんなに変わってないはず。(来られてよかったあ!)


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あと一歩で”奥の院”。せっかくだからと最後までチャレンジ。最上義光公の御霊屋があったのでお参りしました(”駒姫”を読んだばかりだし)。


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着きました”奥の院”。ここにもいた!チャイニーズのツアー客。


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麓の”山寺芭蕉記念館”がお薦め。芭蕉真筆の俳画や短冊、門人との消息文など、見るべき資料が多かったです。機会があればぜひいらしてください。


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ランチは大石田名物”そば街道”、13号線沿いのお蕎麦屋さんで。手打ちそばの”たか橋”というお店。


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十割もできるそうですがニ八そばを注文。揚げ煮のナスは自家製。そばはのどごしが良く花丸[かわいい]。あわせても900円くらいだったか。


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大石田から最上川の船着き場に向かいます。その名も”最上川芭蕉ライン”。戸沢村の古口というところにある”戸沢藩船番所”が舟下りの乗り場。芭蕉はこの少し上流から小舟で酒田まで下ったらしいけど、ワタシたちはここから”草薙”という船着き場まで1時間ほどの短い舟旅です。


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乗船までの時間調整で”戸沢村道の駅”に行ってみた。かなり個性的な道の駅。「なんでここに韓国や?」


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地元の人の話では一時期この村に韓国から嫁いで来る人が増えたので、村長さん肝いりで日韓友好のために韓国式に造ったそうです。”心意気や良し!”ですが村長が交代した後は閑古鳥がないてるみたい。


眼下に最上川を眺めることができる絶好のロケーションですが・・・人が入っていない。もったいないねえ。ハコ物は造ったけれど維持管理が・・・という見本のような話です。


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手ぶらで帰るのが申し訳ないようで、売店で地産の”ラ・フランス”と”くじら餅”を買いました。(そのくじら餅がすごく美味しかった!)


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最上川下りに戻ります。


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(写真は戻り舟ですが)乗ったのはおなじ舟。


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まだ紅葉には早いし両岸の景色もとりたてて何かというわけでもないんだけど、「みなさん、お天気で良がっだねえ。」と船頭さんにいわれて悪い気はしない。舟は40人ほど乗れる(満席だった)。竿じゃなくてモーターでゆっくりあやつります。


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雨が降っても雪が降っても通年運行してるそうですが、ビニールシートを降ろさず風と波を直接肌に感じているとさすがいい心持ち。「ネットに写真をあげて宣伝してくださいよ」なんて言われながらバシャバシャ写しました。


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川の途中で”水上コンビニ”なるものへ立ち寄り。「エッ、これが?」って思うような小屋で笑えたけど、名物の玉こんにゃくを買いました。(舟は飲み食い自由)


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せっかくだから、やはり芭蕉翁の筆を借りて情景説明。

「~最上川のらんと 大石田といふ所に 日和をまつ~(中略)~ 最上川は みちのくよりいでて 山形を水上とす~(中略)~果ては酒田の海に入る。(中略)~白糸の滝は 青葉の隙々に落ちて 仙人堂岸にのぞみて立つ。水みなぎって舟あやうし~」 
<五月雨を あつめて 早し 最上川>
この句の初案では<あつめて 涼し>だったのを推敲して<あつめて 早し>になったそうですが、実感としても<早し>のほうがナットク。
(余談ですが、”奥のほそみち”は、後日芭蕉自身が脚色・推敲してるので、事実と異なる部分がけっこうあります)


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下の写真が芭蕉も眺めた”白糸の滝”。
(またまた余談、旅の途中で”奥のほそ道”を読むと、今更ながらに芭蕉の句と紀行文とがどれほど優れているのかを、何度も痛感させられました!)


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この日の宿は尾花沢の銀山温泉「能登屋」という老舗旅館、この宿がバツグンに良かった[ひらめき][ひらめき]ので、ぜひお勧めしたい。 写真はその能登屋さんの前景。


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”銀山温泉”の写真(特に雪景色)を目にされている方も多いと思います。大正ロマンを売り物にしている温泉郷で若い人にも人気スポットになってるらしい。大正時代に建てられたという木造高層の温泉旅館が銀山川を挟んで立ち並んでいます。こんな感じ。温泉街はさほど広くはない。昼夜この川の辺りをブラブラするのが人気らしいです。


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中でも「能登屋」は四階建て、望楼つきの入母屋造り、国の登録文化財にも指定されている重厚な旅館です。能登七尾出身の銀山鉱夫だった木戸佐左エ門さんが始められた宿だとか。


常に満室状態ですが運良く川に面した本館2階の部屋をゲットできたので、


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部屋から川筋を眺めました。白銀の滝から流れ落ちた水は豊富でニジマスが生息してるという話。


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明るいうちに温泉街についたので付近を散策。歩いているのは圧倒的に若者が多い。
知人に年末年始は必ず銀山温泉で過ごすという人がいますが、雪に閉ざされると旅館から出ることも難しいでしょうね。


これが”白銀の滝”です。


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奥には銀抗洞の跡地も残っているそうです。


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温泉街のマスコット犬(?)ハリーちゃん。


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能登屋さんの館内。玄関ロビーと


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宿泊客用カフエ、


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そして部屋に通じる中廊下、


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泊まった和室です。雪見障子と書院造り。いまやこういう棚がしつらえてあるお宅も少なくなりましたねえ。


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ガラスのゆがみさえ懐かしい!


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四階の望楼部分は談話室になっています。


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天井は吹き抜け、この配線のガイシ現役ですよ。テーブルの上のランプもガレ風の手の込んだもの。


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三階の談話室も趣のある部屋でした。


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こうした文化財級の建築はモチロンですが、それ以上に素晴らしかったのは、館内すみずみまで行き届いた掃除やしつらえ。活け花の一本一本が生き生きしています。床柱なんか黒光りしてました。これほど眼の行き届いた旅館は初めて。女将さん&従業員さんの日々の心がけがよっぽどなんだろうナと感じました。


ロビーにこんな写真が。(女将と音羽信子さんのツーショット)聞いてみたら銀山温泉は”おしん”の舞台になった場所なんですって。ロケも行われたそうです。ワタシは”おしん”を見たことがないのでよくわかりませんが、女将さん(現在は大女将)は今でもお達者で周囲に目を光らせておられました。


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温泉なのに肝心のお風呂のことを書き忘れてた。お湯は少しにごり湯で前日の蔵王と比べると肌あたりが柔らか。硫黄の匂いがした。別館の大浴場でも充分でしたが、地下に貸し切りの洞窟風呂があると聞いて(話の種に)行ってみた。開業当初からの源泉(元湯)だそうで洗い場もなく浸かるだけ。かなりワイルドでかなり熱い。といいつつ計三度入ったワタシです。


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夜は部屋食。鯉の甘露煮が嬉しかった。


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芋煮も前夜のより美味しかった。食材が吟味されています。


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冷酒の口当たりが良かったのでワタシもチョビっとお相伴[わーい(嬉しい顔)]


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朝食です。


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食後はカフエで女将さんがいれてくれたコーヒーを。


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夜の温泉街も少しブラブラしました。


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灯りのついた能登屋さんです。写真で見ても風情がありますねえ。


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山形へ(2)1日目 米沢~蔵王 [旅行]

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蔵王の紅葉[ぴかぴか(新しい)][ぴかぴか(新しい)](五色岳山頂の”御釜”に登るリフトからの眺め)

まだ紅葉には早いかなと思ってたのにこんな景色に出会えて感激[るんるん][るんるん]


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旅の始まりです。東京駅から山形新幹線で米沢まで。駅のホームには色とりどりの新幹線が次々と出入りしてます。


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「ワタシの乗る新幹線はどれ??」って感じ。
東海道新幹線とちがって、東北や北陸方面の列車はとてもカラフル。同じホームで発着してるし、うっかりしてたら山形に行くつもりが金沢なんかへ行ってしまいそう[がく~(落胆した顔)]


これでした!仙台行きと山形行きが連結してます。


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はじめて降りた米沢駅。


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言わずと知れた”上杉氏”の城下町。大河ドラマでも有名になった上杉景勝と直江兼続、2人と親交があったかぶき者・前田慶次、後代の藩主・上杉鷹山など、あまたの名将の名が知られています。が、旅の目的はその方たちの足跡をたどるのではなく、上杉謙信が織田信長から贈られたという国宝の洛中洛外図を見るため。


駅前でレンタカーを借りたまでは良かった。で、さっそく上杉博物館に行こうとしたんですけど・・・ちょうど博物館周辺が”なせばなる秋祭り”のまっさい中で駐車場がギシギシ満杯。いったん市役所まで戻って車を置いてシャトルバスで秋祭り会場へ向かう羽目になりました。(ですが、祭りも見ず上杉神社にも立ち寄らず、ひたすら屏風だけ。)


こちらが上杉博物館(伝国の杜)です。


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館内にはあんまり人が入ってないのにね(笑)


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特別公開が始まったばかりの洛中洛外図を(人の少ないおかげで)ゆっくり拝見できました。


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洛中洛外図大好き人間のワタシ。なかでもピカイチだと思っているこの屏風に出会うのも3~4度目か。初めてみたのは(人波に押されながらの)京博だったと思うけど、金雲の豪華さと画面の構成力と端正な色使いと繊細な描写に(まあ全てにですが)心底驚かされた。


室町期以降江戸期まで、近世の都市が造られていく過程で、多く作成された”洛中洛外図屏風”は現在でも数多く残っています。
京(洛中洛外)の東西南北を一望し、京の名所や四季の行事、風俗すべてを盛り込んで、人々の営みを描く壮大な二曲一双の屏風です。


遠近を考えると実写ではあり得ないんですが、絵師たちは大和絵風の雲を巧みに配置し、ドローンで上から撮影したような”鳥の目”と、ピンポイント毎にクローズアップしたような”虫の目”とを組み合わせ、まるでマジックのような画面を仕立てています。例えば、単眼鏡で夏の鴨川の水浴びなどを見つけると、まるでその場所にいるような気分にさせてくれます。

また、実在した建物や寺院、行事などを描きこんでいる(なかったものは描かない!)のでその当時の歴史資料としても大変重要なものです。(ただし、制作年代と景観年代とにズレはありますが。)

京に憧れた多くの大名も領地の(城下町の)手本にしたようで、下賜・贈答品や土産品としての役目も大きかったらしい。


特に永徳筆のこの屏風は(足利義晴が描かせ、信長が入手後の天正二年に、謙信へ贈ったという)由来も特別なので、絵画的・民俗学的な価値だけでなく、政治史的にも重大な意味を持っています。

四扇の下方、足利公方御所に向かう行列(輿の人物)は当の”謙信”ではないかと言われています。謙信の関心を買うためにわざわざ描かせたのではないかという説もあります。


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付け加えると、この絵は当時の三つ巴の権力構造をよく表していて”足利公方の御所”と”内裏”、さらに”細川管領”の三つの広大な屋敷が目につきます。なぜか?公方御所と内裏は檜皮葺の屋根ですが細川屋敷は板葺きと描き分けています。(庶民の屋根は板に石を乗せた粗末な造り)


下の三扇、細川屋敷には当時の管領細川高国が描かれているという説もあるし、闘鶏の場面では子供時代の足利義晴がいるという説もある。専門家にとっても侃々諤々の屏風なんです。


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絶対権力者のパトロンを持つ永徳は当時から第一級の絵師でしたから、かなり贅沢に画材を使えたはずですし、上杉家の家宝にもなっていたので、保存状態も抜群にいいんですが、さらに近年修理され当時の色や筆致が蘇ったそうです。


そのせいか、印象がかなり変わったような気がしました。初めて目にしたときは「これが安土桃山の絵画かあ」と思ったんですけど、今回は金雲も落ち着いて見え「やっぱり中世の絵だなあ・・」と感じてしまった。”応仁の乱”の前夜あたりの景観が描かれているわけですから当然かもしれない。江戸初期の岩佐又兵衛筆の”舟木本”の印象はずっと華やかで躍動的ですからね。


永徳が描いているのは権力者だけではありません。貴賎を問わず京の市井に生きる人々も登場しています。総勢2500人が描かれているそうですよ。
祇園会の賑わいや、子どもたちが遊ぶ姿など身近な風景があちこちにみられます。描きようによっては権力者の逆鱗に触れて首がとぶかもしれない状況だったと思いますが、若さのゆえか絵師としての気概のゆえか、人物描写はいきいきしています。だから400年以上経ってもワタシたちを飽きさせない。


祇園会の薙刀鉾や船鉾がわかりますかしら?


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洛中洛外のことを書いているときりがないのでこの辺で。。。

見続けていると何時間あっても足りないので(初日の宿の)蔵王に向かいました。


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冬のスキー場や樹氷のイメージが強い蔵王ですが(ワタシもそう思ってた)、雪がなくても結構面白かった。何より強酸性の温泉が強烈でした!


まず”御釜”に向かいます。(”御釜”って火山の噴火口に水が溜まったできたカルデラ湖のことです)
蔵王エコーラインでリフト乗り場まで行きました。麓の方はまだ緑が多かったけど、


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登ってくると紅葉の山々が見えてきた。(ラッキー!)


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30分も走ったかしら。リフト乗り場に到着。


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リフトでゆっくり山頂まで上がります。(8分ほど)


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寒いのなんのって!Tシャツだったのであわてて上着を羽織りましたが冷たい風が肌に突き刺さるようです。でも、おかげで素晴らしい紅葉が目の前に!


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リフトを降りると。。。


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寒々とした風景が広がっています。(チョットこわい)


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ブルブル震えながらゴロゴロした足元に気をつけて1~2分歩いていくと突如御釜が見えてきた!


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なんと言えばいいのか、この深い緑色の水面。エメラルドグリーン?


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(地学の勉強をしてるみたいネ[わーい(嬉しい顔)]。)これが噴火口なんだ。周囲の断層もくっきりと見えます。


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陽がさしてくると水面の色が微妙に変化する。これ以上近づくことはできません。強酸性の水だそうですよ。


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山頂の気温は10度以下だったらしい(地上は22~24度くらい)。でも晴れてたからお天気に感謝しましたね。


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なにかあったらモチロンすぐ避難しなければなりません。でも一見の価値ありですよ。


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この日の宿は山麓の”蔵王国際ホテル”。


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地元料理の食事もまずます、


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一応米沢牛も出た。


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会席の箸休めに”麦切り”とあったので何が出てくるのかと思ってたら、薄い平うどんでした。地元では当たり前に”麦きり”と呼んでるそうです。


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”芋煮”もでました。ちょうど芋煮の季節ですネ。味噌味の家も醤油味のもあるそうです。本来は河原で大きなお鍋で煮込んで大勢で食べるそうですが、食卓では汁物として登場。


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連れ合いは地酒。


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なんで八右衛門なの?(聞くのを忘れた)芭蕉が尾花沢で世話になった”清風”という(紅花の)豪商の通称が島田屋”八右衛門”。だから、でしょうかしら?
ホテルが誇る(誇っていいよ)温泉も”八右衛門の湯”でしたネ。


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この100%かけ流しの温泉は最高だった!熱めの強酸性(御釜と同じ)のお湯。白濁の露天風呂はチョーおすすめ。浸かるとお肌がピリピリして、あがるとお肌がツルツル!朝夕2度入りました。


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山形へ(1) [旅行]

我が家には毎月いろんな旅行会社から山のようなツアーパンフレットがドサッと届きます。「フフ~ン、うちらは”カモネギ”やな」・・とわかってはいるものの、いつまで身体が動くかわからんしなあ・・・とも思うので結局カモられるんですけど・・・ある時こんなツアーが目についた。


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「出羽三山ってええやん!」と思いながらよく読んでみると、羽黒山神社には行くけど、国宝の五重塔にはまわらないし、銀山温泉って書いてるけど好きな部屋は選べないし、7月以降は最上川下りも入らない。行ってみたい場所ではあるが(ウチらにとっては)”痒いところに手が届かない”ツアーだ、と判明。


「じゃあ、いっちょ自分たちで組み立てるか!」(連れ合いもレンタカーを運転するからとのたまうので)「個人旅行にすべ。」と2泊3日の旅を企画。こうなったらツアーの最低料金(77000円/人)に負けない(?)予算でやってやろうじゃないのと、俄然意欲が湧いてきた[パンチ]


結論を言うと、出費の詳細は以下の通り。なんと!ツアー代金とほぼ同額。「ヤッたぜ![わーい(嬉しい顔)]


*交通費 山形新幹線往復 35430円 

     トヨタレンタカー(3日間)   22310円 

     ガソリン代 3478円 高速代1500円 

*宿泊費(酒代・税込)蔵王国際ホテル 30248円 

           銀山温泉”能登屋” 43204円

*食事ランチ他 7910円 *入場料・舟・バス代ほか 10310円

  合計  154390円(77195円/人)

 


せっかくだから(以前から気になっていた)米沢にもまわろうと欲張った。米沢の上杉博物館蔵の狩野永徳筆の”洛中洛外図屏風”が目当てです。特別展示は春秋の2回のみ。で、秋の9月末からを狙った。国宝のこの屏風は織田信長が上杉謙信に贈ったといういわくつきで名品中の名品です。


なにげに旅程を組んでたら、<期せずして!>芭蕉の”奥のほそみち”(の一部)をたどるコースだということがわかり、すごく嬉しかった。[手(チョキ)][手(チョキ)][手(チョキ)]


米沢(上杉博物館)ー蔵王”御釜”(蔵王温泉泊)ー立石寺(山寺)ー最上川舟下りー尾花沢(銀山温泉泊)ー出羽三山(羽黒山五重塔。月山八合目・弥陀ヶ原)

納得のいく宿を選びたかったので2泊目の銀山温泉では、老舗旅館”能登屋”の川が見える部屋をゲット。


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”奥のほそみち”では芭蕉は松島や平泉の方から尾花沢に入ってるんですが、ワタシたちの旅も(米沢、蔵王は別にして)尾花沢・立石寺から最上川下り、出羽三山は芭蕉と曽良が辿ったコースそのまま。

モチロン俳聖は訪れた先々で(みんなが知ってる)名句を残しています。

*山寺 ~閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声~

*最上川下り ~さみだれを あつめて はやし 最上川~

*尾花沢 ~涼しさを 我が宿にして ねまる也~

*出羽三山 ~雲の峰 いくつ崩れて 月の山~  などなど。。。。


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旅の詳細は次回から。いつものように時系列で記録していきます。



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9月に観たお舞台 [美術館 観劇]

* 国立劇場9月文楽公演 第2部 「玉藻前あさひの袂(たもと)」


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* 落語(一之輔)と竹灯篭能(鉄輪)


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*藤波能の会 能「花筐」狂言「萩大名」能「鉄輪」ほか


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CCF20170916_00001 (234x360).jpg (参考)花筐

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9月に読んだ本 [読んだ本]

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*高い窓 レイモンドチャンドラー 村上春樹訳


*チルドレン 伊坂幸太郎


*待賢門院璋子の生涯  角田文衛


*空棺の烏 阿部智里


*バッタを倒しにアフリカへ  前野ウルド浩太郎


*日本会議の正体 青木理


*駒姫 武内涼


*あの会社はこうして潰れた 藤森徹 


* ヨーコさんの”言葉” わけがわからん 佐野洋子 北村裕花・絵


*脇坂副署長の長い一日 真保裕一


*下流老人 藤田孝典


*玉依姫 阿部智里


*星の子 今村夏子 


*秘密 和田はつ子  

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落語&竹灯篭能の会 [美術館 観劇]

友人に誘われて世田谷区烏山寺町へ。「落語&竹灯籠能の会」が日蓮宗の妙寿寺本堂で開催されました。ワタシは初めてだったんだけど、お寺と落語とお能というコラボはもう七回目(七年目)だそうで、知ってる人は知ってるらしい。一時間ほど前に着いたらすでに開場待ちの行列ができていました。


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友人の先生が出演されるということで、能を楽しみにして行ったんですが、若手の落語家”春風亭一之輔”さんのフアンも多かったらしく本堂は満員。若い方の姿も多かった。一之輔さんはTVにも出演されてるそうで人気上昇中。現在落語もブームだそうで(ワタシ、すべての流行に乗り遅れてるな)と感じた次第。


前の方は座布団、後は小さな椅子席が用意されていましたが、客席と演者がとても近い。きっとご住職が捌けた方なんでしょう。積極的にこうしたイベントを受け入れておられるようです。


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日が落ちると竹筒にロウソクを灯してお庭を拝見する趣向。休憩時には鍋島藩屋敷を移築したという建物でお酒も振る舞われました。


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本堂にも竹筒が並べられ、ロウソクの灯りで能が演じられました。”鉄輪”にピッタリの雰囲気。面をつけてるおシテさんは真っ暗で何も見えなかったと思いますが。


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前座に一之輔さんの弟子(与いちさん)が一席。一之輔さんが二席。最初は小噺を軽く、二席目は古典の”締め込み”。手慣れた調子で客席を沸かせてました。声も色っぽいしテンポもいい。時代にあってる。ルックスもいいから人気が出るのも当たり前ですね。


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”鉄輪(かなわ)”は、貴船神社への丑の刻参りの話です。自分を捨てて再婚した夫を恨み、後妻を呪い殺そうとしますが安倍清明によって調伏されてしまう。夫は殺さずに後妻を殺そうとするのもコワイ話(笑)
後シテは”生成(なまなり)”という面だと思う(”橋姫”かな?)。恨みは強いけれどまだ般若にはなりきれない、人間の感情が残っているから余計に哀しみが増す、女の”業”を表した面です。


本堂は能舞台よりぐっと狭くて様々な制約が多かったと思います。ハコビ(足の運び)の数だって変わって来るので、さぞかし舞いにくかったことでしょう。でも能を身近に親しんでもらおうと工夫しておられる主催者の気持ちがよく伝わってきました。



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国立劇場9月文楽公演 第2部「玉藻前あさひの袂」 [美術館 観劇]

9月の文楽公演は、なんたって!(桐竹)勘十郎さんの”七化け”。

 

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文楽人形遣いの勘十郎さんは、現在の遣い手の中ではピカイチの人。技術、体力、精神力と三拍子揃ったまさに油の乗り切った気力の充実した時で、この方が今(七化けを)やらないでいつやるんだ!「今でしょ[exclamation]


”玉藻前(たまものまえ)”ってご存じですか?
こんなきれいなお上臈です。お芝居の中では鳥羽天皇の寵愛を一身に受けている后という設定。


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でも、実は”九尾の狐”が化けている姿で、天皇に近づき王土を滅ぼさんと企てている悪~い妖狐(ようこ)です。
絶世の美女に化けて妖艶な色仕掛けで、天竺の王や唐土の皇帝を狂わせ、我が国では宮中に入り込んで天皇をたぶらかし、三国を傾けんとしました。結局は陰陽師安倍泰成に調伏されて那須野の石になってしまうのですが、その石に近づくものはみな死んでしまうので”殺生石”とよばれるようになったという伝説のこわ~い狐です。


どの社会でもどの時代でも男は美女に弱いという話ですけど、江戸時代には読本や戯作本が書かれ大人気を博しました。”殺生石”というお能もあります。能では後シテの野干がこの石(作り物)を割って登場します。能の殺生石は石魂となった玉藻前が霊となって現れ、供養をうけて成仏するというシンプルなストーリー。


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でも「あさひの袂(たもと)」のお芝居のストーリーはハチャメチャ。一応、通し狂言だったんですけど大団円の”七化け”のためには、あっても無くても関係なしといった内容。鳥羽帝の兄君という悪役も出てきて謀反を企み、妖狐と謀って天皇を殺し宗教界を抹殺して魔界を作ろうとか平気で言ってる。「朝廷モデルだと気にしなかったのかねえ。江戸幕府に楯突く内容だったら許さないはずだけど・・」と連れ合い。(ご維新以降だったら不敬罪?)


実際、今でも那須には”殺生石”という史跡が残っていて、勘十郎さんは舞台前にお参りしてらしたそうです。硫化ガスが吹き出していて周りの草や虫を殺してしまうので(火山性のガスですね)もっともらしい伝説が残っているんでしょう。


220px-“Sessho-seki”(Killing_Stone),Nasu,Tochigi,Japan_20160817.jpg(お借りした写真)


実は芭蕉も”おくの細道”でこの場所(殺生石)を訪ね、~殺生石は温泉(いでゆ)の出づる山陰にあり。 石の毒気いまだほろびず。 蜂・蝶のたぐひ真砂の色のみえぬほどかさなり死す~と記しています。


さて文楽では珍しく早変わり(勘十郎さんは宙乗りまでやった!)など、ケレン味の強い舞台なので、江戸の庶民には大受けしたらしいですが、昨今は上演の機会がなく、昭和初期を最後に途絶えていたのを40年後に玉男さんが一度遣われたそうです。その際は勘十郎さんが足遣いだったとか。それからさらに40年ほど経った一昨年、大阪の文楽座で勘十郎さんが”化粧七化け”(淡路人形芝居に残っている演出を参考に復活されたそう)にチャレンジして大当たりを取ったので、東京でもやってみようということになったらしい。


大トリの”化粧殺生石”の段、いわゆる”七化け”は、ストーリー的には那須野に逃げて石と化した妖狐が夜な夜な变化して狂い踊るという話ですが、まあそれは付け足し。勘十郎さん独壇場の舞台(早変わり)を理屈ぬきで楽しもうという舞台です。


ご自身は”七化け”ができるのも多分これが最後、という気迫に満ちてました。一人で七役(玉藻の前をいれて八役、狐をいれると九役)を使いこなすのは、体力的にも至難の技です。イヤイヤ、ひとりだけでできるものじゃあない。足遣いや左遣いも何組も必要だし、裏方さんや囃子方、もちろん床の太夫と太棹、チームワークが勝負の世界です。


写真はその八体の人形です。立役も女形もさまざま。座頭や雷、女郎や奴もいますね。特に見どころは、特殊な頭を使う「双面」と「両面」と呼ばれる顔の早変わり。一瞬の内に狐から玉藻前、玉藻前から狐と面相が変化する。もちろん客席は大喜び。やんややんやの拍手です。[ひらめき][ひらめき][ひらめき]


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金狐が登場した時思わず「あっ、ミルクそっくりやん!」と。連れ合いもそう思ったって。かわいらし仔やナア([わーい(嬉しい顔)])。口の大きいところが似てるのかな? ひょっとしてミルクのシッポも9本あったりして。。。(コワイよぉ[がく~(落胆した顔)]




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離島シリーズ第4弾 隠岐の島へ(3)<再び島後へ> [旅行]

最終日3日目、隠岐空港からの午後便で羽田に戻ります。

でもその前に、再度”島後”へ上陸。西ノ島の別府港から(今度はフェリーじゃなく)ジェットフオイルで島後の西郷港へ。それでも1時間くらいかかりましたかね。


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4つの島々を結ぶ航路はいろいろあるんですが天候が荒れるともちろん欠航します。そうなると”離島”が”孤島”になってしまう。常にリスクと隣り合わせの暮らしですね。それでも「今はクロネコヤマトもあってアマゾンなんかの配達もしてくれるし、スーパーも1軒ありますから暮らしやすいですよ。」と西ノ島のガイドさんは言ってましたが。


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この日は神社巡りが主でした。

*玉若酢命(たまわかすみこと)神社


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樹齢2000年(?)とかいう八百杉がご神木だそうです。


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ご寝殿は葺き替え中で拝殿のみ参拝。


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* 水若酢命(みずわかすみこと)神社


ガイドさんが”みこと”と名がついた神様は実在の人物を象徴してると言ってましたが、玉若酢さんと水若酢さんは兄弟神とされていて、それぞれ隠岐の島の別の場所に降り立った神様だそうです。要するに隠岐の国造りの先駆者を表してるのね。


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なかなか風情のある立派なお宮さん、隠岐一の宮で平安時代からすでに全国的に知られていたそうです。玉若酢神社とともに国の重要文化財指定を受けています。


裏手に回ってみると古墳がありましたから、やはり最初に島に渡ってきた豪族かなんかでしょうね。


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いずれも”隠岐造り”と呼ばれる神社。出雲大社と春日大社と伊勢神宮の造りを部分的に模して造られているそうです。


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* 岩倉の乳房杉


岩倉神社の御神体がこの巨木。


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クネクネした山道を入っていくと鬱蒼とした木々の中に・・


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御神体の”乳房杉”がそびえていました。乳房状に垂れ下がっているのは根っこだそうで少しづつ成長しているそうですよ。空気中の酸素や水分を吸収して木を支えているそうです。乳房に見えますかね。ワタシのおばあちゃんのオッパイのような見事な下がりよう。ナデナデする人が後を絶たないので今は近づけないようになってます。


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* 佐々木家住宅


島後東海岸に位置する元庄屋の佐々木家です。”隠岐造り民家”として残っている貴重なお宅で、重要文化財指定を受けてるらしい。


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佐々木家は宇治川の先陣争いで有名な佐々木高綱を先祖にもつ由緒ある家柄で30代に渡って続いてきたそうですが、30代目のご当主が戦死されたそうで、その後は相続する人もなく、現在は地元の所有となり、保存会の方々が管理運営なさっているそうです。


屋根が特徴的でした。杉皮で葺いた上に竹を編んで乗せさらに漬物石のような重石を並べています。地産の材料を使って海からの強風を防いだのでしょう。


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ここで郷土料理のランチがいただけるということで楽しみにしてました。土間には懐かしいおクドさんも。地元の方が調理をしてくださって、


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茶の間でいただきます。


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冠婚葬祭などの折にこうして集まって飲み食いするのが隠岐流。お汁椀にまるごとサザエが入ってるのがわかりますか?(やったぜ[手(チョキ)])”サザエ海苔巻き”と”そうめん”も定番です。


何だかタイムスリップした気分。故郷に帰ってお葬式の直会(なおらい)におよばれしてるような気分になってきました。

つい最近までは、ワタシの田舎でも、何かあると近所の人が集まって、自分たちで煮炊きして飲み食いしてましたね。かならず諍いが起こって、うっとおしいことが多かったけど、思い返すと悪いことだけでもなかったような。。。


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とまれ、美味しい手料理で大満足。ごちそうさまでした!


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島には観光客向けのお土産屋というのがほとんどありません。先々でそれらしきものを見つけては少しだけ買って帰りました。こういうところも”秘境感が高い”所以ですね。


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離島シリーズ第4弾 隠岐の島へ(2)<島前> [旅行]

初日の宿はコテージでした。部屋からは海(のはずなんだけど、かなり深い入江で湖のよう)が見えて眺めの良いロケーションです。


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夕食は郷土料理を出してくれて支配人が島の風習を教えてくれたので楽しかったですよ。隠岐は海産物に恵まれ、特にサザエがよく採れるそうで、毎回の食事に必ずサザエが出てきました。サザエが大好物のワタシは連れ合いの分まで食べちゃった。写真はサザエのつぼ焼きと緋扇貝のバター焼き。


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さてこちらは島前(どうぜん)の地図です。時計回りに”中ノ島” ”知夫里島” ”西ノ島”。2日目はこの順番で島巡りをしました。


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この3つの島は太古の火山の大噴火で出来たカルデラ地形なんですって。すなわち、火口が陥没して海となり、その周囲の外輪山にあたる部分が3つの島として残ったというわけです。だから円形ですよね。島に取り囲まれている内海は波も穏やかです。もともとカルデラだったところを舟で行き来するという面白い体験でした。


写真は中ノ島から知夫里島へ渡る舟から撮ったもの。見えてるフェリーは鳥取の”境港”と隠岐島を結ぶ大型船です。


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話が前後しますが、2日目の朝に島後の西郷港から島前”中ノ島”の菱浦港(海士町)まではこのフェリーで渡ってきました。1時間半くらいかかったかな。結構な距離でした。


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団体専用の2等船室。雑魚寝の船室は初めてで連れ合いが心配してくれたけど、これが案外腰痛持ちには良かった。ゴロンと寝て過ごせるから腰が楽でした。


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海士町の菱浦港です。内外すべて木造の駅舎。下船するとぷ~んと木の香りがして気持ちのよいおもてなし。


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なんでも”海士(あま)町”は先進的な地域おこしの取り組みで全国的に有名な自治体だそうです。連れ合いも名前を知ってると言ってました。全国から視察にくるそうですよ。

IターンやUターンを積極的に受け入れ、本土から多くの高校生たちを島内留学させて、島親制度のもとで地域行事の参加を促し、移住者を増やしているそうです。アイデアマンがいたのね。先に述べたように、この島のガイドさんも若い女性で地域おこし協力隊のメンバーでした。


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<中ノ島(海士町)>


*後鳥羽上皇ご火葬塚&隠岐神社


なんたって、中ノ島でのチョー有名人は”後鳥羽上皇”さん。41才のとき”承久の乱”で隠岐に流され60才でこの地で亡くなるまで19年間の配流生活を送ったという方です。火葬塚が残っていて現在は宮内庁の管轄になっています。上皇のお世話をしたという村上氏という島の顔役が代々墓守をなさっているそうです。(現当主の村上さんは宮内庁の職員扱いだそうですよ)流刑者の生活はすべて島の人達が面倒をみたそうです。軟禁状態ですが食べたりするのには困らなかったようです。


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「承久の乱って何だったっけ?」とあわてて調べたら、鎌倉時代初期(執権・北条義時の時代)武家と公家との勢力争いで武家政権が勝利したという有名な乱のことでした。
当時すでに頼朝は亡く実朝が暗殺された直後、政子が御家人たちにゲキを飛ばした!という伝説がありますが嘘かまことか。各地の武士団は形勢が有利な方に馳せ参じたんでしょう。
とまれ、倒幕の院宣を出して戦ったものの敗者となった朝廷側では、鳥羽上皇のみならず順徳上皇(佐渡島)や皇子たちもそれぞれ配流。側近の公卿たちは処刑されて、以降武家の統一政権が強固なものになっていきます。(まあ、専門家にはさまざまな見方があるらしいけど、ざっと言うとそんな話)


後鳥羽さんという方は後白河上皇の孫で(似てるのかな?)かなり個性的な”治天の君”だったらしい。安徳天皇の次の践祚で三種の神器も揃ってなかったそうですが、後白河の院宣でムリムリ天皇になったみたい。


詩歌が大好きで宮廷サロンには式子内親王や俊成、定家、慈円、寂蓮など錚々たる歌人が集まっています。定家に命じて”新古今集”の編纂もさせています。文学史的にも重要人物。流刑地でもさかんに歌を詠んだそうで、いたるところに歌碑がありました。~いたづらに 都へだつる 月日とや なほ秋風の 音ぞ 身にしむ~とあります。


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よく知られてる和歌では ~我こそは 新島守よ 隠岐の海の 荒き波風 心して吹け~ という一首がありますね。


「へえっ~」と思ったのは、大正天皇から現皇太子まで歴代の天皇家の方々がこちらに足を運ばれていたこと。なぜか?MUSTで訪れるべき配所らしい。「天皇とはこういう運命にもなる存在なんだよ」という戒めを心に刻むためでしょうか。


こちらは後世に建てられた隠岐神社。崇徳院とはちがって、後鳥羽院が怨霊になったという話はあんまり聞きませんね。昭和に建てられた新しい社ですが町の中心の神社となっているそうです。


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ちょっと付け加えると、鎌倉末期に”後醍醐天皇”も隠岐島に流されていますが、(歴史で習いましたけど)一年ほどで島を脱出して”建武の中興”という親政を始められますネ。
平安時代の流刑人”小野篁”さんなんかの足跡は随分残ってましたけど、なぜか、今回の旅では後醍醐天皇の逸話をほとんど聞かなかった。地元では無視(?)されてるのかしら。(あるいは気がつかなかっただけかも)とまれ、後鳥羽さんと比べると島民の崇敬の念に温度差を感じました。


*明屋(あきや)海岸


火山の噴出物がそのまま残っている海岸。国立公園指定されてます。海と岸壁の色のコントラストがいいようもなく綺麗!まるで南洋の海のように遠くまで色が透き通っていて「ここはたしか日本海だったよね?」と思わされる。冬は荒波で近寄れないと思いますが。。


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海岸沿いを歩いていくと波がザブ~ンと足元に打ち寄せます。


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炭化したのか、炭のような真っ黒な岩が波打ち際ぎりぎりまで突き出てる。


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暑くもなく寒くもなく、いくら眺めてても飽きない景観でした。


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<知夫里島(知夫里村)>


*赤ハゲ山


知夫里島の漁港に着くと地元の漁師だというオジサンが観光バスで迎えに来てくれてた。


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3つの中で一番小さな島です。「人口が600人、牛が650頭、タヌキが3000匹」とか言ってたけど・・・・(?)

牛の数が人よりも多いのはうなづけます。どこへ行っても放牧された牛がいる。赤ハゲ山(展望台)に登っていく途中にもいっぱい見かけました。”牛優先”の道路です。


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赤ハゲ山は島の最高峰。山の草は牛たちがすべて食べてくれるのでカーペット状態。山頂からは本土の島根半島も見えましたし、(オジサンは)大山も見えたと。(ワタシは大山は認識できず)隣の西ノ島はこんなふうに見えてます。ポンと飛び移れそうねえ。


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*赤壁(せきへき)


聞いたような名前。おなじみ三国志の”赤壁の戦”から取ったネーミングかしらね。ちなみに本場の中国古戦場では”赤壁”って赤い字が岩に書いてるらしいから、こっちのほうがよっぽど本物の赤壁らしい。


(この写真では迫力がわからないと思うけど)実際に目にすると赤色が鮮やかでハッと息を呑むような絶景です!


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やはり火山活動でできた地形。断崖絶壁の赤色はマグマのしぶきが酸化したものだとか。近くまで行って海底を覗くと体が引き込まれそうです。落ちても自己責任。


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いつぞやのNHK朝ドラ「だんだん」のロケもここだったそうです。ウン、ウン覚えてる。最終回だったか、4人が隠岐に来てここで叫んでたシーン。(ストーリーは荒唐無稽だったけど[ふらふら]


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<西ノ島(西ノ島町)>


さらに小舟で西ノ島へ。美田湾に着きました。


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島一番の見どころが西側の”国賀海岸”一帯。海からの侵食で出来た奇岩が連なっています。展望所に案内してもらった。この島のガイドさんも地域おこし協力隊の若者でした。


* 赤尾展望所


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* 摩天崖 


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*通天橋


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巨大な奇岩を間近に見るために、遊歩道をえっちらおっちら歩きます。その途中に・・・・、


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こんな景色が。そう、(牛だけでなく)馬も放し飼いされています。半野生化してるのであんまり近づくなと注意されました。馬たちはほとんど一年中自然の中で暮らしてるそうです。


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牛も馬もワタシたちも放し飼い([わーい(嬉しい顔)])みんなで自由にはばたきましょう!


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2泊目の宿は西ノ島でしたが、船宿でお世辞にも快適とは言えない。
10万円/(人)近く支払ったツアーなのに「こんなヒドい宿はないやろ[ちっ(怒った顔)]」とげんなりしましたが、ナイトクルーズの舟を出してくれたのはまずまず。星空がよく見えた(星座はよくわからなかったけど。)


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離島シリーズ第4弾 隠岐の島へ(1)<島後> [旅行]

8月末から9月初めまで隠岐諸島への旅。(たまたまなんですが)このところ”離島”づいてるワタシたち。昨年の①五島~壱岐~対馬に始まって、②奄美諸島、③南西・八重山諸島、④隠岐諸島と出張ってます。「あとは屋久島と利尻・礼文に行ったら、離島はほぼ制覇だな」と連れ合い。「それが何か?」のオクサン。


今回はクラブツーリズムの2泊3日のツアーに参加。(離島では”移動”が難題だとわかったので個人旅行はやめた)
ところが、なんと総勢41名!もの大所帯。しかも結構お身体の不自由そうな方々もお見受けします(他人事ではないけど[ふらふら])親子で参加という人も多い。80代と50代の父母娘とか、70代と40代の母息子とか(介護要員か?)。


「エッツ、離島ブームなの?」と思わず叫んでしまった。ツアーのお仲間に伺ったら、離島のみならず、いまや”秘境ブーム”なんですって!
その上(旅行中に判明したんだけど)”御朱印帳ブーム”なのね。やたら神社に連れて行かれるナと思ったら、「まとめてもらってきますから」とバスガイドさんの一言で、皆さんさっと御朱印帳を取りだして「ハイ、300円」とか言いながら渡してる。もちろん作法にかなった敬虔なお参りをされてます。鳥居の前でもしっかり拝礼するし鳥居の真ん中なんか絶対くぐりませんからね。(マナーが悪いのワタシらだけ[ふらふら]

ヤレヤレ、知らない間に世の中は変わってるんだナア。。。


これまで訪れた中では隠岐が一番”秘境感”が強いと言ってる人がいた。確かに観光地化されてません。インフラがイマイチだし(今時どこにでも居る)外国人観光客の姿を全く見かけなかった。
隠岐の気候は温暖でお米もとれるし自給自足ができる。そんな離島に魅力を感じる人は多いようです。
実際、島のガイドは”地域おこし協力隊”のメンバーの若者たち。出身は大阪などで大学卒業後すぐに島に就職したそうです。「隠岐大好き!」オーラを発してました。高齢化も進んでるけどお年寄りは元気だし、人情は厚いし、家族ぐるみの移住者も多いので子供も増えてるって言ってました。


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さてここで地理のおさらい。


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隠岐諸島は島根半島の北40キロ~80キロの日本海に浮かぶ島々の総称です。(南端の知夫里島からは本土の島根県が見えました)
ほとんどは無人島で(180もある)人が生活してるのは4つの島。中心は北側の”島後(どうご)”で、”島前(どうぜん)”は南側の3つの島(西の島、中の島、知夫里島)を指します。もとは陸続きだったそうですが、数百万年前の火山活動で出来た島で、
いたるところに火山活動の足跡や、海からの侵食でできた独特の景観が見られます。固有の動植物も多く、太古からの自然や歴史などを学びながら後世に伝えようと、全島が「隠岐ユネスコ世界ジオパーク」に指定されてます。

日本史的には(ご存知のように)遠流の島でもあり、北前船などの風待ちの島でもあります。(さらに北には”竹島”もありますが、それはちょっと置いといて。。)


この四箇所すべての島々を巡るというのが今回のツアー。[飛行機]羽田から伊丹乗り継ぎのJALで飛びます。島々の間は[船]フエリーと高速船&漁船で行き来。[バス]島内はマイクロバスに分乗しての移動も多かった。(山道は車のすれ違いが大変でした!)


何よりラッキーだったのはお天気に恵まれた[晴れ]ので、連日[晴れ]景色が存分に楽しめたことです。

3日間の行程は<島後~島前~島後> 時系列に紹介します。


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まず初日の<島後>から。北側にある大きな島の方です。


10時半に羽田を出て伊丹乗り継ぎで2時前に隠岐空港に着いた。


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伊丹~隠岐間は一日一便のみ。これは帰りのプロペラ機です。離島感がありますねえ!行きは8月の多客期でジェット機だった。出雲空港からも一便あるらしい。


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空港にはこんな大凧が。ウン?どこかで見たような・・・。対馬にも壱岐にもありましたよね、似たような”鬼凧”が。隠岐では”iguri(イグリ)”って呼ぶそうです。


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まず”モーモードーム”に連れて行ってもらう。800年前から続いてるという隠岐の伝統行事”牛突き”。隠岐に流された後鳥羽上皇を慰めるために始まったと言い伝えられています。その牛相撲を観光客用にみせるためのモーモードーム。


”牛突き”は神事でありお祭りでもあるそうで、ちょうど二日後の9月1日に年に一度の最大のお祭り(本場所)「八朔大会」が行われるという話でした。
本場所は集落にある屋外の土俵で開催、前頭から横綱まで番付順の取り組みが一日中続くそうです。前夜から親類縁者を集めての飲み食いも延々と続き、一卓で何十万円も使うといってました。話を聞いてると”牛突き”に一生を捧げてる人も少なくないようで、損得勘定は抜き、”名誉だけ”をかけて闘うそうです。


観光客向けは横綱級の牛の取り組みが一番だけ。900kg~1000kgの体重がある雄牛です。まずは土俵入りから始まって・・


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豪華な化粧まわしも披露されます。


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”隠岐の島”号 対 ”島後嵐”号の一番勝負。

 

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相手の隠岐の島号が土俵に入ってきたと思ったらもう始まってた。ハッケヨイというヒマもない。シコは踏まないのね[わーい(嬉しい顔)]


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結構気合が入ってる。牛の横には”綱取”とよばれる人が綱を持って牛を鼓舞します。二頭ともやる気満々。目の前で見るとこわいくらいの大迫力。


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決着をつけずに”引き分け”で終了。牛は一度負けると、それ以降やる気を喪失して使えなくなるからだそうです。ところがこの引き分けがなかなか難しい。二頭ともかなり興奮してるから綱取が離そうとしてもなかなか離れない。どうなるのかしらと心配になったころにやっと離れました。


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近くで見ると優しい目をしてます。オーナーさんが磨きぬいた鋭い角が武器なんですって。相手に突かれた箇所は内出血してるそうですよ。一度勝負した後は一ケ月くらい休養させると言ってました。この仔は多分”島後嵐”号。「お疲れさま」


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この日の夕方は遊覧船に乗ってローソク島観光です。


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沈む直前の夕陽がローソクの形をした奇岩の上にかかる”一瞬”をとらえて、海から見るというトリッキーな観光です。ここ数日ほどは海が時化てて舟が出なかったとのことで添乗員さんが気をもんでました。この日は舟が出たのでとりあえずホッ!


ただし、分厚い雲がかかっていて、どうやら夕陽は望めそうもないなあという雰囲気。出航はお天気じゃなくて波が高いかどうかで決めるそうです。


見えてるのがローソクの形をした岩。20メートルほどの小さい岩。大きな岩が波に侵食されてこんなふうに残ったらしい。


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夕陽を待ちながらあたりの奇岩を巡ります。こちらは侵食途中の、未来のローソク岩。


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雲間から金色の光が見えてきた。「ひょっとして?」と期待が膨らむ。


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船頭さんが「そろそろ行きましょうか」と船をローソク岩に近づけてくれる。


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で、見えたんですよ!その一瞬だけ雲が切れてローソクの炎になった!


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みなさん思わず拍手[ひらめき]。船の中は大騒ぎでした!

















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8月に観たお舞台&映画 [美術館 観劇]

国立演芸場8月上席


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(映画)「クーリンチェ少年殺人事件」監督 エドワード・ヤン 


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8月に読んだ本 [読んだ本]

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* 希望荘 宮部みゆき


* 柳眉の角 上田秀人


* ハリで治す突発性難聴


* 新解釈「おくの細道」 矢島渚男


* 芭蕉という修羅 嵐山光三郎


* 芭蕉さん 長谷川櫂


* 村上海賊の娘(上)(下)   和田竜


* 中国ナショナリズム 小野寺史郎


* ヨーコさんの言葉   佐野洋子 北村裕花(絵)


* ヨーコさんの言葉「それが何ぼのことだ」  佐野洋子


 吉野太平記(上)(下) 武内涼


* 烏に単は似合わない  阿部智里


* 烏は主を選ばない   阿部智里


* 私の消滅  中村文則


* 黄金の烏  阿部智里


* 体が硬い人のための柔軟講座 中野ジェームズ修一


* 勉強できる子卑屈化社会 前川ヤスタカ


* 幸せについて考えよう (西鶴、ヘーゲル、フロイト他) 


* 「フィンランド式」叱らない子育て  ベン・フアーマン


* 料理通異聞  今井今朝子


* 認知症介護ラプソデイ 速水ユウ



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ハッピーバースデー! [日記 犬]

「ミルクお誕生日!おめでとう!」


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「それが なにか?」のミルク。(4歳になったんですけどねえ・・[もうやだ~(悲しい顔)][もうやだ~(悲しい顔)]。)


ミルママ取り寄せの近江牛(細切れ)と、ミルパパが行きつけのケーキ屋さんで買ってきてくれたシュークリーム。([バースデー][バースデー]バースデーケーキのかわり)


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「お肉は火を通すから待ちなさいって!」
かなり熱いはずだけどやっぱり動物性タンパクからいきますね。


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シュークリームは優先順位が低いナ。


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と思ったら、パクッとひとくちで食べました。


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豪華メニューがなんでもらえたのか本人は全然わかってない!


相変わらずよく食べ&テンションが高いミルク。誰にでも「遊ぼ 遊ぼ」攻撃するので嫌がられてる。ワンちゃん仲間には4歳になったことをナイショにしておくつもりのミルママです。


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国立演芸場 8月上席(かみせき) [美術館 観劇]

柳亭)市馬さんを追っかけて演芸場へ。8月の上席は市馬さんのトリです。今回は”笠碁”という地味な咄。ノドが聴けなくてちょっと残念だったけど、終わったあとで心底にジ~ンと響いてくるような話芸。市馬さんの人柄のにじみ出た、味のある噺に酔わせてもらった。[ひらめき][ひらめき]


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特筆すべきは、パントマイムの”カンジヤマ・マイム”さん。初めて観たけどチョー面白い!身体の部分を個別に動かせるのがスゴイ!修練のたまものだと思った。客席を飽きさせない話術も素晴らしい![ひらめき][ひらめき][ひらめき]

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