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山中湖 3日目 (快晴 イチゴ狩り!) [旅行]

前述したように3日目は快晴。富士山とミルクのコラボはいかがでしょうか!


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山中湖”花の都公園”です。かろうじてチューリップが咲き始めてる。でも春はまだまだこれから。。


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櫻は咲き終わってましたネ。これが”富士桜”というのかしら?花びらが小さくて可憐です。


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やっと晴れたコテージの朝


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湖畔にお散歩に出ると、山中湖&富士山もよく見える。


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ワタシが「イチゴ狩り、イチゴ狩り!」とわめいていたので、連れ合いが(石和・笛吹方面へ)イチゴ狩りに行くことに同意してくれた。途中笛吹市の桃源郷(桃畑)に立ち寄ったけど・・・・桃の花は見事に咲き終わり([もうやだ~(悲しい顔)])一面ピンク色に彩られてる(はずの)桃源郷は・・・「どこや?」


その代わり(?)に”南アルプス”の山々がクッキリと見えて「まあ、ええか」


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下は案内パネルですがこの写真よりよく見えてる([手(チョキ)]


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一本だけ咲いていた桃の花から望む南アルプス。


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さて、ここがイチゴ狩りの現場(?)山梨市の”いちごランド”。何軒かのイチゴ農家が集って営業してるらしい。


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ペットOKのハウスに行きました。でも大型犬は想定外だったらしい。連れ合いが「じゃあ前で待ってるよ」って言うと、店の人が「いいからいいからどうぞ入ってください」と言ってくれるので、ありがたく2人と1匹で入場。


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時期的にもう終わりなのね。イチゴも少ない。”章姫”と”紅ほっぺ”とか言ってたなあ。


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立ったままポイポイともぎ取って食べられるのが楽ちん([手(チョキ)])。この2列だけと言われ、行ったり来たりして赤いのをほとんど食べ尽くしました。


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「ミルク、ここで待っててね」


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待ってるわけないやろ([ちっ(怒った顔)])。キュ~んキュ~ん、うるさいこと!

「ハイ、おすそ分け」


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「小粒だけど甘いなあ~(ミルク)」
「いつまでもあると思うな、”親”と”イチゴ”(ミルママ)」


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といいつつ、イチゴで満腹になったわれわれデス([わーい(嬉しい顔)]


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<恵林寺>


(3年前にも行った)武田信玄公の菩提寺。再訪しました。http://alexleo.blog.so-net.ne.jp/2015-04-20


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ミルクも一緒に境内に入ったので、今回は館内の見学は遠慮して、外の庭園のみ拝観。


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<心頭 滅却すれば 火もまた涼し>のことばを残したと伝わる快川和尚。織田の軍勢によって焼き払われた山門で多くの僧侶が焼死した話が有名です。


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祖師堂の真ん中が”夢窓国師”、右側が”快川和尚”です。


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信玄公や家臣団の墓に外側からお参り。


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<放光寺>


全く知らないお寺でしたが、恵林寺の近くだとガイドブックに出ていたので何気に訪ねたら・・大当たり[ひらめき][ひらめき]


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「花と縁結びの寺」とガイドブックには書かれていて予約すれば精進料理も食べられるそうです。何より、重文指定の仏さまたちが素晴らしく、宝物殿で拝ませてもらいました。ご住職の話では、この寺も織田軍の焼き討ちにあって建物は消失したらしいですがすぐに再建。かろうじて仏さんは焼け残ったとか。


宝物殿には御本尊の”大日如来坐像”。”天弓愛染明王坐像”。さらに”不動明王立像”が一体、これら三仏はいずれも平安仏だとか。仁王門には(鎌倉時代の)金剛力士像二体。


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大日如来像を見て「平安仏?」と思いました。運慶仏を彷彿させる面立ちです。弓を持つ愛染明王が特に印象強い。関東の、ひっそりとしたお寺に、こんなすばらしい平安仏が残っているのかとちょっと感動。


現在は真言宗智山派の落ち着いた寺院ですが、元は平安時代に”甲斐源氏”の安田義定氏が創建したそうで、平安仏も当時のものだそうです。安田氏一族は頼朝に滅ぼされ、以降は武田氏、その後は徳川氏の庇護を受け伽藍の再建を繰り返し今に至っているとのこと。


寺には安田氏を模したとされる”毘沙門天像(鎌倉時代)”も祀ってあり、彩色もよく残ってるし、きりりとした相貌(イケメン)が魅力的。仏というより人体彫刻みたいでした。


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<慈雲寺>


同じくガイドブックに載っていたお寺。恵林寺からも放光寺からも近い。(ただ道がわかりにくい)


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しだれ櫻で有名とあったので「ひょっとしたらまだ咲いてるかなあ」と期待して行ったら・・・


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甘かった!残念([もうやだ~(悲しい顔)])もう葉櫻になってた。咲いてたら見事だろうに今年はきっと早かったのね。(同じ境内の若桜でムリムリなっとく)


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帰途に勝沼に寄ってランチ。大小のワイナリーが集ってる地域です。

”シャンモリ”というお店。盛田甲州ワイナリー直営のレストラン。


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周りにはぶどう畑が広がっています。


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富士桜ポーク煮込みを注文。(ワイナリーに来て飲めない連れ合いには、まっこと気の毒)


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いつものように”談合坂のSA”でミルクのドッグラン。


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SAで売っていた朝採りのタケノコ。お土産に買って帰ったら柔らかくてめっちゃ美味。大満足でした!


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山中湖ゴルフ(でも、雨)2日目 [旅行]

天気予報では午後から晴れるはずだったので予約していたコースへ。「霧が出てないだけましかも」と連れ合い。でも、雨[雨]です。しかも突風が吹いてきて傘も小物もあっという間に飛ばされてしまう!雨が靴や服の中に吹き込んでくるので冷たくて寒くて、芝の上もビショビショ・・・([もうやだ~(悲しい顔)][もうやだ~(悲しい顔)][もうやだ~(悲しい顔)]


前の組の4人は若者で元気だったけど、オジサンオバサンにはチョー過酷なラウンド([もうやだ~(悲しい顔)]


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(晴れてれば)目の前は富士山(のはず)。下の写真は午後です(雨ふってるやん!)


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最後の2ホールくらいでちょっと晴れ間がでてきて、やっとゴルフらしきものを体験。クラブハウスでお湯につかったらドッと疲れが出た!
(なんしてんのん!風邪ひいたらどないすんのん!無理することないのに。我ながらアホ[ふらふら]


この日の夕食は山中湖村の郷土料理の有名店(?)”大豊”さんへ。


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くたびれすぎて言葉が出ない。もくもくと”ほうとう”とか”富士桜鱒寿司”とか”天ぷら”とか食べました。


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コテージに戻ってバタンキュー。11時間は寝たぞォ~!



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山中湖ゴルフ(でも、雨・・・)1日目 [旅行]

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四月も半ば、ミルクんちは春の旅行シーズンに突入。手始めに山中湖へゴルフ、2泊3日の予定で初日&2日目にコースを予約したのに・・・・・・2日間とも雨([もうやだ~(悲しい顔)])。春先は変わりやすい天気だって知ってるけど([もうやだ~(悲しい顔)]
初日はキャンセル([もうやだ~(悲しい顔)])して、2日目は強風と大雨の中でプレー。<山中湖ゴルフ=悪天候>という構図がしっかり出来上がってしまった。


悔しいのは最後の3日目だけが快晴になったこと。富士山をバック(花の都公園)のミルクはその3日目の写真。(ン?既視感が)
そのはずです。以前、同じ場所で同じポーズのルースケの写真を撮ったもんね。


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このところミルクはずっとお留守番だったので、今回は一緒に行こうねっていつものコテージへ。山中湖はワンちゃん連れOKの場所が多いし、ペットOKの常宿やお預かりの施設もあるので、近間の旅行では行くことが多いですね。ただし狭い地域なので何度も行くと飽きてしまう。

着いた日も雨模様でアウトドアは一切ダメ。富士山麓は霧も出ます。仕方なくいつものように鐘山ゴルフセンターの打ちっぱなしで少し練習。


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それでも時間を持て余して、まだ行っていない場所を探したら富士吉田の「富士浅間神社」を見つけた・・・というより、いつも前を素通りしてたんだけど由緒ありそうなお宮さんらしいので寄ってみるべかと。傘を持ってなかったのでカメラも濡れてしまいレンズには雨粒がついています。


お参りの前にミルクはしっかり済ませて(?)から。


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立派な大鳥居。


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社殿も立派!拝殿も神楽殿も重文指定を受けてるらしい。


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内殿(本殿)もこのとおりきらびやか。


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昔からいわゆる”富士講”の人たちの参詣で賑わってきたんでしょうね。”富士山信仰”の拠点です。<北口本宮富士浅間神社>とあったので「東西南北の本宮があるんですか?」と社務所で尋ねたら、四方はないが東口はあると。(わけわからん?)
なんでも北口から富士山を拝むのが一番良いらしい。(この日は雨でどこにも富士山は見えませんでしたけど。)


 


いつも行く”紅富士の湯”も定休日だったので”石割の湯”へ。両方とも山中湖村の日帰り温泉で料金も安いので地元の人やら観光客やらで賑わっています。


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これまたいつもの湖畔イタリアンレストラン”キャンテイ・コモ”でピザやらソフトシェルクラブの夕食。(変わり映えがせんなあ!)無休でやってるので助かる。味は保証します。


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能「小塩」狂言「止動方角」(国立能楽堂普及公演) [美術館 観劇]

四月の国立の普及公演。能「小塩(おしお)」のシテが浅井文義師なので出かけることにしました。以前「雲林院」の公演があった際に馬場あき子氏からも「小塩もぜひご覧になってくださいね」と言われていたし。。


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「小塩」も「雲林院」も、”伊勢物語”で昔男とされる”在原の業平”と、二条の后こと”藤原高子”との恋がモチーフとなっている能です。貴種の姫との叶わぬ恋に身をやつす業平の所業は、当時の人からは肯定的にとらえられていたのではないかというのが(馬場さんやこの日公演に先立って講演された天野文雄氏など)専門家の解釈のようです。


天野文雄氏の解説はすごく面白かった。この方は京都造形芸術大学舞台芸術研究センター所長という肩書の能楽研究家。年に2回、国立能楽堂での公演の際に講演されているとか。当日は<「小塩」にはなぜ引歌がかくも多いのか>という演題でした。


(天野さんの解説によれば)「小塩」という能は、いつ、誰によって、何のために作られ演能されたのかということがすべてクリアにわかっている、まことに珍しい能だそうです。


すなわち、1465年9月25日に、足利義政の春日大社参詣の折、興福寺一乗院で催された四座立会猿楽において、金春善竹が自ら演じるために創作した能、だそうです。

”金春善竹”は世阿弥の娘婿、同年の春2月に義政が花見をした小原野を意識して作られたそうで、もとは「小原野花見」という曲名であったとか。秋の演能にもかかわらず、前シテは櫻の枝を持って登場、舞台にも櫻の物見車や櫻の作り物を出して、華やかな春の景色を演出しています。ヒネってますね(笑)


何でも「小塩」の謡には、伊勢物語の和歌をはじめとする引歌(和歌)が22首もあるそうで(数えてみたけどワタシは18くらいしか把握出来きない)、馬場さんのような歌人にとっては親しみやすい能なんでしょう。その数は他の能に比べて突出してます。謡の文句のほとんどが和歌の言葉といっていいほど。


もともと小塩の物語は、二条の后(高子)が小原野へ行啓された時に供奉していた業平が詠んだとされる<大原や 小塩の山も 今日こそは 神代も 思い知られけれ>という和歌を中心として展開されていきます。
その業平を(高子への思慕に苦しむ)”色好みの昔男”としてだけでなく、”衆生済度の和歌の菩薩”としても描いて崇めようというややこしい能。
天野先生は「この辺が善竹の屈折したところですね。世阿弥だったらもっとシンプルに描いたでしょうね」と。思うに善竹は世阿弥に対してめちゃコンプレックスを持ってたのかもネ。


当時は義政が後花園天皇の許しを得て勅撰和歌集の編纂を進めようとしていたらしく、自らも和歌の好きな善竹が(義政へのヨイショで?)ことさら和歌を引いたのではないか、という講釈でした。ただし、応仁の乱によって和歌どころでなくなった義政だったためか、この勅撰集は実現していません。


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さて当日の演能ですが、前述したようにシテは銕仙会重鎮の浅井文義師。この方のドラマチックな演能は(師匠であった)観世寿夫師の姿を垣間見せてくれるんじゃないかとワタシは期待してるんですが、こうしたマイナーな公演にわざわざ来ようというのは、よほど能に興味がある人だろうな「好っきやなあ!」と(我が事を差し置いて)思いましたね[わーい(嬉しい顔)]


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内容と同様に謡の節付けも(善竹らしく?)ヒネクリまわしてる印象。地謡がイマイチ揃ってなかったのが「う~ん[ふらふら]」。シテの序の舞(太鼓入)は、(小書がついてたのか?)所作が常とは違っていましたが、さすが浅井師!きっちり昔男(業平亡霊)の哀しみがシミジミ観じられる舞でした。
(余計なことながら)後シテの面は”中将”だと思いますが、絶世の美男子とされるはずのその容貌は、ワタシの目からみるとちっとも男前じゃない。美男・美女の定義も時代によってホントに違うんだなあ([わーい(嬉しい顔)]


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さらに付け加えると、狂言「止動方角」で馬の着ぐるみで登場した善竹大二郎さん。(先日のワークショップでお目にかかった若手役者さんかな?)
長丁場の狂言ですが、馬になりきって大活躍![ひらめき][ひらめき][ひらめき] 能も狂言もつくづく体力勝負だと思いますねえ。









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新タケノコ!(今日のシャンシャン) [日記 犬]

夕方のお食事タイム。(新物だと思うけど)タケノコ食べてる!


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「オッ!いいもの 食べてるなあ!」と連れ合い。(羨ましがってどないするねん!)


ママはしっかり皮をむきながら、シャンシャンはその皮をクチャクチャ。


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お昼寝タイム(今のシャンシャン) [日記 犬]

お昼寝です。器用に木の上で寝てる([わーい(嬉しい顔)])。時々寝返りもうってる。落ちないかなあ。。。


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ママもお昼寝。「こっちのほうが安全だな」って連れ合い。


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で、思わぬシャンシャン騒動が勃発。いやはや、スマホで”上野シャンシャンライブ”を見てたら、スマホのインターネットが動かなくなっちゃった。連れ合いに加勢を頼んで、ああでもないこうでもないとひねくりまわしたけどラチがあかない。
サービス会社に電話してもなかなか繋がらない。「電話するな、ってか!」([ちっ(怒った顔)]


ようやくつながったら、ワタシが契約通信量の上限を超えて使っていたらしい・・・ことが判明。動画を見てると通信量が増えるそうです。皆さん、知ってました?

知らんかった。そっち方面に全く疎いオバサンです。「限りある資源ですから有効にご活用ください」って言われちゃった。


今後は家の中でパソコンで見ることにしました。ラインができるから便利だと思ってたけど、スマホってのもなかなか厄介ねえ・・・・([もうやだ~(悲しい顔)][もうやだ~(悲しい顔)]






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御衣黄(ギョイコウ) [日記 犬]

友人たちと(4月のはじめの)お花見の約束をしてたけんだど今年は花が早くてすでに散っています。で、友人のプライベートクラブでの「ランチ&室内楽」に行くことになった。


新丸ビルで待ち合わせしたら、2Fに素敵なロビーがあることを発見!(知ってる人は知ってると思う)


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大きなガラス窓からは東京駅がよく見える。


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ランチをしてから皇居の三の丸尚蔵館わきの”御衣黄(ぎょいこう)”を見に行った。八重さくらはまだ咲いてます。


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緑色の桜、ワタシの大好きなさくら。


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かりんの花も咲いてた。カリンってこんな可愛い花をさかせるのね。


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昨日のシャンシャン。4月7日の午前中。


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今日のシャンシャン [日記 犬]

毎日”上野パンダライブ”をチェックしてますが、大抵シャンシャンは寝てるし、父母は竹(笹?)を食べてるばっかりで。。([もうやだ~(悲しい顔)]


今日は珍しくシャンシャンが木登りしたり水浴びしたり可愛い仕草を見せてくれました。登るのも降りるのもすっかり上手になった!午前中の方がよく動いてるのね。(午前11時過ぎです)


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シンシン(母)はウロウロしてたので、きっとお昼ご飯を待ってたのね。


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「奥の細道を訪ねて 第一回 深川」 [旅行]

~月日は百代の過客にして 行きかふ年もまた旅人なり~

(月日は永遠に旅を続けていく旅人であり、来ては去り去っては来る年々もおなじく旅人である)


あまりにも有名な”奥のほそ道”の書き出し。古文の試験でひたすら現代訳を覚えた人も多いのでは。当時は「なんのこっちゃ?」と思っていた”百代の過客”も、齢七十にもなると、シミジミと実感にせまってきますねぇ。


いうまでもなく"奥のほそ道"は元禄2年(1689年)に、俳人松尾芭蕉が弟子の曽良とともに奥羽から北陸を旅した際の記録(&俳句)文学。紀行文の最高傑作と言われています。教科書には必ず載ってるから序文を覚えておられる方も多いでしょう。


奥のほそ道は江戸の”深川”から始まり、千住~草加~春日部~日光~白河~松島~平泉~尾花沢~山寺~出羽三山~鶴岡~象潟~弥彦~出雲崎~金沢~小松~敦賀を経て、美濃”大垣”に到着するまでの五ヶ月間にわたる長旅の紀行文。でも通読してみるとあっけないほど短い。推敲に推敲を重ねて創作されたものというのが一般的な解釈です。同行した曽良の”曽良日記”という記録文が残されているので、「事実はこうだった、ああだった」という論争もいまだにかまびすしい([わーい(嬉しい顔)]


春日部から参加したという人は「春日部には立ち寄っていないと言う説もあるんですよねえ・・・」と笑ってらした([わーい(嬉しい顔)]


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上の画像は、去年山形旅行で銀山温泉に行った時にも使いました。


”立石寺(山寺)”から、五月雨を集めてはやし”最上川”下り、出羽三山へと辿ったので、期せずして奥のほそ道ルートと重なり、芭蕉&曽良さんの旅をなぞることになった。機会があれば、その他のルートもたどってみたいと思ってたら、今回クラブツーリズムで「奥のほそ道を訪ねて 第一回 深川」というツアーの案内が来たので個人参加したわけです。


人生50年の時代に、芭蕉は41歳~46歳までの5年間で(門弟とともに)しきりに旅に出て”更科紀行”や”笈の小文”など五編の紀行文をものしています。「どんだけ健脚やったんや!」と思いますね。中でも”奥のほそ道”は、研ぎ澄まされた名文に挿入された(誰もが知ってる)数々の名句があまりにも有名。


ともかく芭蕉については、おびただしい研究者が、句の解釈のみならず、その生涯についても、あふれんばかりの著作を世に問い、今でも論争を繰り広げていますので、ワタシごときの出番はないのですが、案内役の郷土史家(芭蕉研究家?)の先生に伺ったことなどを少しづつ書いていきます。


 

ツアーは都営線の”森下”という駅で集合、”清澄白河”という駅で解散した。その辺りが芭蕉の住んだ”深川”ということでウロウロと歩き回ったんですが、


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実は、東京の下町は何度も火事や大震災、戦災の被害にあってるために「ここ!」という確かな史跡が残ってないんですね。コンクリート造りの神社ばかりで、昔の面影をしのぶよすがもありません。三度移り住んだとされる”芭蕉庵”にしても、後世の推量らしい。

 


*長慶寺

芭蕉は元禄7年大坂で(51歳で)客死。門弟の”杉風”や”其角”が深川での弔いのために、遺骸の一部(歯)と句の短冊を埋めた(んではないか)とされるお寺の片隅に碑が建てられています。


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*芭蕉記念館


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昭和56年に江東区が芭蕉を顕彰するために建造した資料館。(なんか味気ないなあ、というのが率直な印象)

この近くで、大正時代の台風の際に、芭蕉遺愛の石カエル(展示してます)が出土して、そこを芭蕉庵跡と認定(?)したそうです。
正確には <古池や かわず飛び込む 水の音> の句から”芭蕉翁古池の跡”と指定された([わーい(嬉しい顔)]
もともとその”古池跡”地に建てられていた資料館だそうですが、関東大震災で全焼したのでここに再建されたとか。


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草庵めいた芭蕉堂の背後には隅田川の景色が広がっています。


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近くの”小名木川”と”隅田川”の合流地点には”芭蕉庵史跡展望庭園”も造られています。40代にしてはめちゃめちゃ老け顔([ふらふら])。


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その芭蕉像が眺めているのは花見の屋形舟が行き交う賑やかな大川(隅田川)。清洲橋が見えてますネ。むろん当時はいっさい橋はかかってなかったはず。


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伊賀上野(柘植とも?)で生まれた芭蕉が、どうして江戸まで出てきたのか(専門家が喧々諤々の論争をしてますが)ワタシにはわかりません。最初は俳句の宗匠として生計を得て日本橋に住んだそうで、さらに深川へ移り住んだのはなぜか、ますます謎ですね。


案内役の先生は「宗匠といっても当時は旦那衆の宴席で句会を催す取りまわしに過ぎなかったので、そんな俗っぽいことがイヤになったんでしょ」と説明してました。なるほど、太鼓持ちだったというわけか。それでも生計の道を捨てて極貧の暮らしを選ぶというのはイマイチ腑に落ちない。


ただ、深川が今も昔も江戸の”川むこう”だというのは、来てみてはじめて実感できたこと。(京でも昔は賀茂川のこちら側かむこう側かでは土地の持ってるイメージが違った)

お江戸の喧騒から逃れて、言い換えれば、文化的なものからは離れて、わざわざ川を渡って、”草庵”を結ぶのには、それなりの動機があったんじゃないかと感じました。


で、芭蕉は本当はスパイだった(伊賀出身だし)とか、連句からの独立、蕉風の確立のためだったとか、いろんな説があるそうです。

深川で水運業(蔵前)の検査役をして生計を得ていたんではないかと読んだこともありますが、小名木川の近くに流れてるこの運河は”仙台濠”というそうです。


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仙台藩の米蔵まで続く濠だったと聞いて(やっぱり奥のほそ道は仙台藩へのスパイ活動かな?)とチラッと思ったりしました。甲賀出身の我が身としては伊賀出身の芭蕉さんは親しい存在なんですけどネ(山越えたら柘植だし。。)


*芭蕉庵跡(芭蕉稲荷神社)

37歳で日本橋から深川に越してきた芭蕉が、弟子の魚問屋・杉山杉風(さんぷう)の援助を得て結んだ草庵跡とされています。「エッ、こんな狭いの?」とビックリ。


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先に述べた石カエルはこの古池跡地から出土したらしい。でも池があるわけではない。かの句は”心象風景”を詠んだとされていますからね。


初期の庵は振り袖火事で全焼、2代目の庵も同じ地に結んだとか。

芭蕉の株を門前に植えたところ大きく育ったので”芭蕉庵”とよばれるようになり、自身の号も”桃青”から”芭蕉(はせを)”に変えたといわれています。


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地元では稲荷神社として信仰を集めてるそうですが、芭蕉がなんでお稲荷さんなのか意味わからん(?)そこんところの説明は無かったナア。


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桜の幹にぶら下がってたこの句が胸にグッと来た!<さまざまの ことおもいだす 桜かな> 


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*芭蕉稲荷神社のすぐそばが萬年橋。小名木川の川端番所跡です。


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芭蕉も見ていたであろう場所からの眺め。


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*臨川寺

ワタシ的にはツアーの中で一番興味深かったお寺です。もともと小名木川に面していたから臨川寺。臨済宗の禅寺で芭蕉庵から歩いても数分。この寺の住職”仏頂和尚”さんとよほど波長があったのでしょう。芭蕉が毎日座禅に通ったと言われています。そのころ芭蕉37歳、和尚は39歳。寺にあったこの木像は当時の芭蕉の面影を彷彿させるものでした。


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お寺の(現)住職の説明では、職人の長屋が連なるこの地で、唯一気の合う知識人同士として話がはずみ、禅の教えも学んだのではないか、それが後の作句にも大きな影響を与えているということでした。


芭蕉の教養はどこで身につけたものかわかりませんが、和漢の古典や謡曲など多岐に渡っていて、紀行文や発句の中に見事に生かされています。
この仏頂禅師との交流も、奥のほそ道で下野国の”雲巌寺(うんがんじ)”を訪ねた際に<啄木(キツツキ)も 庵はやぶらず 夏木立>の句として残されています。雲巌寺は仏頂和尚が修行を積まれた名刹だとか。


和尚が鹿島の本山に行かれた時には芭蕉も追いかけるように禅師をたずねているそうです(鹿島紀行)。芭蕉が客死したあとは和尚が戒名を贈り仏前に安置、それまで臨川”庵”とされていた庵を臨川”寺”とする際には、亡き芭蕉を”開基”としたそうで、二人の濃密な交流がうかがわれます。


現在の臨川寺は境内も狭くなって小名木川からは離れていますが、後世の俳人たちが由緒を記した石碑を建てたり、今日までその由来を伝える努力を続けておられるようです。


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*その後は(芭蕉とは何の関係もない)清澄庭園を散策。いや、<ふる池や~>の句碑だけありました。清澄庭園のカメ。甲羅干しにはもってこいのいいお天気。


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*最後に、旅立ちの場所”採荼庵(さいとあん)”に向かいます。


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運河の脇にある小屋は、芭蕉庵を人に譲って<草の戸も 住み替る世ぞ 雛の家>から、旅の支度を整えるために過ごした”杉風が別墅”跡です。


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いよいよ旅立ち、<弥生も末の七日>。ここから小舟に乗って千住まで向かいます。この日はちょうど3月末だったんだけど、芭蕉の旅立ちは旧暦ですから5月になるそうです。

<弥生も末の七日・・・上野・谷中の花の梢、又いつかはと心細し・・・前途三千里の思ひ胸にふさがりて、幻の巷に別離の涙をそそぐ~>

<行く春や 鳥啼き 魚の目は泪>魚は魚屋の杉風を指すらしい。気配りの俳聖ですね(笑)


そうそう、ランチの深川めし(アサリの蒸しご飯)が美味しかったので紹介しておきます。”みやこ”というお店。芭蕉資料館のすぐそばでした。


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案内してもらうと自分で道を探さなくて済むというメリットはありますがそれ以上のこともない。次回は自分で(連れ合いに運転してもらって)奥のほそ道、那須方面(雲巌寺や遊行柳)へ行こうかな、と思ってるワタシです。

















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3月に観た舞台 [美術館 観劇]


* 3月国立歌舞伎公演「梅雨小袖昔八丈」「増補忠臣蔵 本蔵下屋敷」



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* 藤波能の会「東北」「春日龍神」狂言「茶壺」ほか


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* 女性能楽師による特別公演 能「高砂」ほか


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3月に読んだ本 [読んだ本]

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* 中国では書けない中国の話  余華


* 一茶の相続争い 高橋敏


* 中国はなぜ軍拡を続けるのか 阿南友亮


* ハッチとマーロウ 青山七恵


* ねこ背を治す教科書


* 承久の乱と後鳥羽院 関幸彦


* 赤ちゃんとママがぐっすり眠れる本


* ドラママチ 角田光代


* 陰謀の日本中世史  呉座勇一


 




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「寛永の雅」サントリー美術館 [美術館 観劇]

東京六本木のミッドタウンでお花見。お江戸は花のまっさかり!(29日)


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この桜並木に囲まれたサントリー美術館では「寛永の雅(かんえいのみやび)」展を開催中。この日は車で都心まで(ラクチン[わーい(嬉しい顔)])ラッキーなことにミッドタウンのパーキングも空いてた。


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”寛永”とはもちろん江戸時代の寛永年間のこと。江戸では将軍徳川家光と、京都では後水尾天皇の時代。幕府の三代目は戦乱で乱れた世と民心を安定させるため、寺社仏閣の修理や都市機能の快復など様々な政策に心をくだきますが、朝廷との融和もその一つ。家光妹和子(まさこ)を後水尾帝の女御に入内させます。二代将軍秀忠とお江のあまたの子どもたちは次々と政略結婚させられていますが、公武合体で朝廷に入った和子(東福門院)もその一人で、豊臣家に嫁いだ千姫の妹にあたる人。後水野帝との間に(後に女帝となる)明正天皇を産んでいます。


この和子の入内を描いた屏風絵がとても面白かった。徳川美術館蔵の「東福門院入内図屏風」です。
左隻には二条城から飾り立てた牛車(女車)が連なって出ていく所、右隻には次々と御所に入っていく嫁入り道具の数々。(下は右隻)


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行列の両脇には等間隔で道に座する警護の武士たち。「機動隊みたいだなぁ」と連れ合い。二条城の隣には京都所司代屋敷も描かれていて「板倉勝重(重宗?)は大変だっただろうなぁ!」といたく同情してました(笑)


幕府側は”禁中並公家諸法度”を発布、後水尾帝はそれに反発して紫衣事件を起こすなど、武家政権と京の王権との緊張関係が続いていた時代です。家光は(チョー個性的な)後水尾帝をなだめたりすかしたり莫大な費用をかけて懐柔に努めます。その結果として”修学院離宮”の造営や、京の寛永文化が花開くことにもなるんですが。。。


入内図屏風には警護の武士の後ろから見物しようと集まる物見高い京童たちの様子も詳しく描かれ当時のビッグイベントだったことが一目瞭然。絵画的には特筆することもないけど、記録目線で素直に描かれている印象をうけます。


この展示では(戦国期の)桃山文化とは大きく違った、(泰平にならんとする時代)古典回帰に走った公家たちや町衆の京文化と江戸で花開いた武士の文化、時には交流し共鳴したであろう同時代の公武の美意識を「寛永の雅」と名付けて紹介しています。


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美術史的には”小堀遠州”、”狩野探幽”、”野々村仁清”など、名前を聞いただけで「ああ、わかりやすいねえ!」と目に浮かぶような代表選手の作品が並んでいます。ただし、一般に持たれている”きれい”や”わかりやすい”だけの先入観を再考してみようという試みもあるらしい。


(実際、大まかな印象として)遠州の”綺麗さび”や探幽の”余白の美”、あるいは仁清の色絵陶磁器など、いわゆる”端正&優雅”とされてきた美意識からは「アレ?ちょっと違うな」と感じる作品が多かったですね。

特に仁清の焼き物はどちらかといえば、シンプルで素朴さが目立った。解説に「色絵は地方からの要望で造られたのでは・・」と書かれていて面白かったですけど、<京好みではなかった>ということかしらね。(まあ、色絵香合や釘隠しなど仁清ならではの造形物も展示してましたので何でも出来た人だったんだなあと改めて思いましたが。)


後水尾帝が修学院離宮で焼かせたという(下の)「冠形大耳付水指」なんか(ワタシ的にはすごく気にいったけど)まるで縄文土器みたいでした。


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(チラシの下にちょっこと出てるけど)心惹かれたのは、遠州好みの瀬戸の肩衝茶入”飛鳥川”。これは素晴らしくきれいだった。さらに面白かったのが後水尾さんの宸筆「忍」の一文字。(雅というより激情ですけどね[わーい(嬉しい顔)]



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”イカナゴの釘煮”が届いた! [日記 犬]

待ちに待った”イカナゴの釘煮”が届きました。


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昨年知人からいただいた神戸の”樽正”の”イカナゴの釘煮”があまりに美味しかったので、今年は絶対注文する、と決めてた。イカナゴは”春告魚”とも言うそうで、播磨灘から水揚げされたのをその日のうちに加工して発送してくれるのはこの時期のみ。モチロン「我が家のお取り寄せ」に仲間入り[手(チョキ)]


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神田川沿いのソメイヨシノ。ポカポカ陽気に誘われて人もぞろぞろ・・・(啓蟄かい?)


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ミルクのお散歩コースでもしだれや紅桜の競演です。(寒い冬だったけど)やっぱり春はくるんですね!


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女性能楽師による企画公演(国立能楽堂)能「高砂」ほか [美術館 観劇]

連日の観能です。国立能楽堂の企画公演”女性能楽師による”仕舞と演能。


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残念ながら能楽界はいまだ”男尊女卑”の世界。見所(観客)や素人弟子には女性が目立ってきましたがプロとなると能楽師も囃子方もまだ少ない。


国立では毎年女流による公演の企画をされていますが、ワタシはことさらと思い、今まで気にせずにきました。ただお稽古が進むにつれ、やはり女性の謡の声と男性のそれとを意識せずにはいられなくなり「どうすべえ???」と悩んでもいるので、なにかヒントをもらえないかと思い出かけてきました。


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素人初心者の分際であれこれ申すのもおこがましいのですが、日頃から思っている女性の演能について書かせてもらいます。


能は600年あまり男性優位で演じられてきた演劇の一種で、舞と謡(コトバも含む)で構成されています。中で”謡(うたい)”とよばれる声楽は、西洋音楽と違って絶対音感のない世界。シテやワキは自分の声の高さをもとに音程を決め、バックコーラスの”地謡”もそれに合わせて謡います。(いいかげんっちゃいい加減[わーい(嬉しい顔)])。畢竟、この声は男性の声を前提としたもの。


ここで重要なのは「声色を作っちゃイケナイ!」こと。年若い貴婦人でも、精悍な武者でも、年老いた姥でも尉でも、幽霊でも、すべて”現在の自分の地声”で出さなくちゃイケナイ。しかもノドからでなく腹から出さなくちゃイケナイ。これがすごく難しい。役を謡い分けするためには、声の質ではなくて、テンポとか緩急とかを考えなくちゃならない。過度の感情移入もまずい。(義太夫にも通じるような気がする)だから、しわがれ声の姫なんてのもアリなわけ([わーい(嬉しい顔)]


その上”謡”には指揮者がいないし、譜面もないし楽器の伴奏もない。(囃子方とはテンポと間合いを合わせるそうです)
合唱とはいえコーラスとはまったく違う次元のものなんですが、男性同士が演じる場合は”地声”にそれほど差がないので”役謡”と”地謡”の掛け合いにもさほど違和感が生じない。それが女性と男性の混合だとすると、かなり厳しくなってくるんですね。いわゆるキーが違うというのかな。聞き苦しいのね。


女性は低音領域の中音以下に問題を残すと言われています。要するに低い音だと声が出ない。ワタシの場合、1オクターブ高くしたり低くしたりして工夫してましたが男性と一緒に謡うのには辛かった。最近年取ったせいか、地声が低くなってきたのでずいぶん助かっています(笑)今回も仕舞の「百万」と「藤戸」の演者はお歳をめしてたせいか男性の地声に近かったです。人によってはわざとノドを潰したりすることもあるそう。
女性の場合、プロでも素人でもかなり高い声の謡が多いので、なんだかなあと・・・がっかりすることも多いのが現状です。


で、今回の女流能に戻ると「高砂」を勤められた鵜澤久師がずいぶん頑張っておられ、個人レベルで舞を極めたりはできるけれど、集団の芸術として女流能が成り立つのかどうかという問題提起を以前からされているんです。


2~3年前の新聞批評ですが、共感して取り置いていたのを紹介します。


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能は(歌舞伎や浄瑠璃なども同じ)”たまたま”男性が演じてきただけなのか?数百年の歴史で男性のものと刷り込みされてきただけではないか?とも思えますが、一方で(芸術として)観る人に感動を与えるという意味ではどうなのか?とも思うので、いつも堂々巡りの思考に落入ってしまいます。


今回は宝生流の仕舞二番と観世流の仕舞と、観世流(銕仙会)の能「高砂」の演目だったのですが、最初の仕舞「野守」はやはり女声がめだってしまって・・([ふらふら])。

能「高砂」も地謡は(観世銕之丞師の地頭で)男性集団。みごとなツヨ吟を聴かせてもらった。悔しいけれど、この地謡を女性だけで勤めるのは難しいだろうなと思ってしまう。(笛と小鼓、後見の一人は女流でした)

友人によれば、銕仙会は女流能楽師の舞台を認めているそうですが、流派によって考え方は異なり女性と男性の舞台を別々に分けているところもあるそうです。


鵜澤久師は高砂のシテ(男神)を颯爽と舞われていました。小柄な方だけど、スピード感を出すために歩数を稼ぐように歩幅を小さくしていたり、随所に工夫がみられました。師は音域が広く声がお腹から出るので女声と感じさせないのですが、それでも(正直)女面をつけておられる舞台のほうが、安心して聴ける。


あぜくら会の会報で、歌舞伎役者の坂東彦三郎さんが「(祖父や父から)声を枯らさずにせりふを伝えるにはお腹から声を出すことのほか”お腹にある言葉を喋りなさい”と教わりました。感情が喉や胸にある状態では心がこもったせりふにならない。感情をお腹の下まで落として咀嚼し、お腹の奥底から言葉を出すと、役の性根につながり、せりふに感情が乗りやすくなります」と語っておられたのが印象に残っていたのですが、ひょっとしてこれがヒントになるかも。男女を問わずですが。。。






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さくらさくら [日記 犬]

ミルクのお散歩コースでもさくらが咲きました! (どこにでもある)ソメイヨシノ。


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しだれ桜。楽しませてもらってます([手(チョキ)]


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ワタシ的に一番気にいってるのがコレ。一本の樹に薄紅や濃い紅色の花が混じり合って咲いてます。まだ若木だけど存在感はバツグン。なんていう種類かしら?


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我が家のお取り寄せ [日記 犬]

奈良の吉野から”さくら羊羹”が届きました!


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実は週刊文春に載っていたのですが、昔に吉野でこれを買ったことを思い出して早速注文。すぐに送ってくれました。さくらの花びらが寒天の中に入っているのでほんのりとさくらの味がする。”お花見”じゃなくて”お花食”([わーい(嬉しい顔)]


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同時に神戸の”樽正”さんへ”イカナゴの釘煮”も注文。これはまだ届かないけど楽しみにしてます。播磨灘から春に水揚げされる”イカナゴ”は春告魚。この時期だけの味覚で春を味わうのもちょっとした贅沢([わーい(嬉しい顔)]

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ここで我が家のお取り寄せの面々を記録。


<まいど必ず取り寄せてるもの>


*近江牛・・・故郷のお肉屋さんに無理を頼んで(小分けにしてもらって)る。お付き合いはかなり長い。柔らかい霜降り肉がリーズナブルな値段で手に入る。


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* 茨城県旭村のメロン・・・東日本大震災の前から頼んでたんだけど、全く安全にもかかわらず、震災後はヒドい風評被害にあってたので頭にきたワタシ! 毎年注文して知り合いにも送ってる。すごく甘い![ひらめき][ひらめき]


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*奄美黒糖焼酎・・・(言わずと知れた)連れ合いの晩酌用。度数35以上という焼酎です。


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*吉野洞川の陀羅尼助・・・連れ合いが毎日飲んでる小粒の錠剤。さくら羊羹と同じ吉野山からの取り寄せ。お店は修験道の宿にもなってるそうです。
お腹の調子を整える漢方薬の一種で、ワタシは”チロリンタン”とよんでる。もともと実家で取り寄せてたからもう半世紀を優に超えてる。


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<最近取り寄せて気にいったもの>


*北海道厚岸の生カキ


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*近江余呉町の菊水飴


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*近江堅田の鮒寿司。


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やはりなじんだ土地の産が多い。食に関して言えば我ながら保守的だと思いますね。










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藤波能の会 能「東北」「春日龍神」ほか [美術館 観劇]

銀座の観世能楽堂で藤波能の会。「東北」シテが下平克宏師。「春日龍神」はシテ藤波重彦師。


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「東北」は3番目もの、典型的な鬘物の一つで、シテは和泉式部(の幽霊)。生前、上東門院(影子)に宮仕えのおりに過ごした”東北院”の御所で、手づから植えて愛でた梅の木にことよせてこの世に現れ、在りし日の次第を語り(ワキの)僧に念仏を乞い歌舞の仏として成仏するという”夢幻能”です。


下平師の丁寧な演じようで、目前に梅の木があらわれ香りがするような、見事な舞台。”序の舞”でしっかり眼を開けていられたのも(ワタシとしては)珍しいこと。地謡と囃子に人を得て、シテ・ワキとよく調和。つくづく「能って総合芸術やなあ!」と思ったことでした。


「東北」は何度もお稽古してるので謡本が無くてもOK。馴染みのある節まわしが耳に嬉しい。「なるほど、呼びかけはあんなふうにするのか」とか「あそこの地謡はこんな間合いを取るのか」とか・・それなり(自分なり)に少しづつ理解を深められる。お稽古はモチロンだけど、舞台を見るのはすごく勉強になります。



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「リアル~最大の奇抜~」府中市美術館 [美術館 観劇]

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久々の府中市美術館。


東京の桜は開花しましたが(数日前の話なので)この日はまだつぼみのソメイヨシノに交じって一本の”大寒桜”だけが満開!


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展覧会は”リアル~最大の奇抜~”。どうも地味ですね([ふらふら])”リアル”と言われてもわけがわからんし・・・「なんのこっちゃ?」、会期初めのせいか館内もひっそり。でも内容はめっちゃ充実!
府中はいつも面白い企画展をやるので目がはなせませんが、今回は「画家にとって写実とはなにか?」という大きなテーマを”さり気なく”扱っています。


キュレーター(金子信久氏)の見識の高さには恐れ入った([ひらめき][ひらめき]

連れ合いも「(個人蔵を含む100点を超える作品を)借りて来るだけでも大変なことだナ!」としきりに感心。しかもマイナーな絵師がほとんどだし。


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言われてみるまで気づかなかった虚を突かれた視点です。”写実”の本来の意味を再考しませんか?という提案がなされた企画です。
<絵画の基本が”リアルに描くこと”というのは、明治以降日本に西洋絵画が入ってきた時点からの考え方であって、それは限られた”リアル”の捉え方である>という主張です。


日本画(とよばれる)のジャンルでは、江戸後期から様々な画法を駆使して様々な絵師たちが、ものの姿を迫真的に表現しようとしてきたんだよ、ホラみてごらんよというわけです。色や形の具象のみならず、光の捉え方や構図にもいろんな工夫があるでしょと。


たしかにワタシの受けた戦後の学校教育では、日本画は平面的で動きのない絵だからお手本にしちゃダメ、デッサンを重視して絵の具を塗り重ね立体表現を追求すべき・・・・などという刷り込みがされてきたように思う。


でも、今ワタシがせっせと足を運ぶ美術展の殆どは日本画の世界です。大人になってから(ワシントンDCの)フリーア美で光琳を見た時に「日本画ってこんなに面白いのか!」と目をひらかされたわけ。写実とはかけ離れたデフオルメやデザイン、その色彩に魅了されたんだと思う。


先日の日経新聞の文化欄にも「日本画の位置づけをアジアから見直そう!」というシンポの記事が載ってた。”洋画”に対抗して”日本画”というジャンルにこだわった天心先生の危惧もわかるけど、そろそろそんなくびきから自由になりましょうよ、という風潮が生まれてきたようです([手(チョキ)][手(チョキ)])。


伝統的な日本画と同じく日本の伝統芸能も、特に(ワタシの好きな)”お能”なんかはリアルからもっとも遠い場所で存在してます。ビジュアル的には”美しさ”のみ追求されています。「実際にはありえん!」と思ってしまうとたちまち壊れてしまう心象風景の世界。でもその中の”心”だけを見つめていくと自分と同じドラマが見えてくる・・・・。


そうした造形の美とは別の視点で描こうとする絵師が出てきたのが江戸期なんだよというのがキュレーターの伝えたいことだと思う。
曾我蕭白が「”画”を求めるなら自分に、”図”を求めるなら応挙に頼めば良い」と言ったそうですが、現代人の眼からみるとあの個性ムンムンの蕭白こそが正統で、写実を試みた応挙は異端児だった、という信じられないような逸話・・。


もっとも、リアルということを突き詰めていくとすごく奥深い話になってしまうからワタシごときには手があまる。ので印象的な作品のみ紹介。


陰影法も遠近法も使っていなくても、そのままリアルだと思うような絵も多いです。

下は森狙仙の「群獣図巻」、大きな巻物です。(個人蔵。よく見せてくれた。感謝!)”猿の狙仙”と言われた絵師ですが、どうしてどうして、いろんな野獣を描き分けてる。特に毛並みが素晴らしい質感。ダヴィンチやゴヤのような写生画にも通じる、デッサンを重視した絵だとわかりますね。


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それから下は応挙の「大石良雄図」。等身大の大判図で芝居の中の人物画ですが、見た目に美しく描こうとはしていない。大乗寺襖絵の唐子図なんかとは大違いです。応挙がこういう人物画も描いていたのかとオドロキ。連れ合いは「引き出しの多い天才だったんだなあ。注文にあわせていかようにも描けたんだろうなあ!」と改めて感嘆してましたが、この作品では着物の透け様とか足の開き方とか、かなりリアル。


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展示では、写実を探求した江戸期の絵師として”応挙”と”司馬江漢”の二人を代表として取り上げています。


司馬江漢は蘭学者たちとの交流や洋画の画法を取り入れた銅版画などでおなじみの人で、応挙以上に”見たままを描く”ことにこだわったんじゃないかと思える。
左は「生花図」。浮世絵師から花鳥画の世界へ転身した江漢の30代のころの作品。一見南蘋風ですが色の濃淡を使って写実的に描いてます。ガラスの花器から透けてみえるのは花の茎です。

右の「湖辺遊禽図」は油彩を使ってるそうです。”空”を絵の具で描くのも画期的なことだったそうです。日本画では空は余白で表現するものでしたから。


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司馬江漢が師事した”宋紫石”の「柳下白鶏図」が良かったのも付け加えておきます。


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美人画のジャンルからは(京都の浮世絵師)祇園井特の「美人図」。肉筆の大首絵をよくした絵師ですが、当時の人は「ン?これが?」と思ったかもしれない。


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ワタシは応挙一門のフアンなので府中が持ってる作品は何度も見ていますが、今回も「時雨狗子図」や


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「猛虎図」「鯉魚図」などが見られただけで嬉しかったですね。


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帰り途併設のカフエでお茶。[るんるん]もうすぐ春ですねぇ~[るんるん]


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国立大劇場歌舞伎公演「梅雨小袖昔八丈」「増補忠臣蔵ー本蔵下屋敷」 [美術館 観劇]

3月の歌舞伎は2本立て。菊之助の「梅雨小袖昔八丈(髪結新三)」と鴈治郎の「増補忠臣蔵(本蔵下屋敷)」。(音羽屋と成駒屋の)次代を背負うお二人がそれぞれのお家芸で主役を勤めるという(一人の座頭中心で通し狂言の多かった国立としては)珍しい番組編成。


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「増補」は忠臣蔵の枝葉部分のエピソードを扱ったもの。今回は”本蔵下屋敷(九段目・山科閑居の前日譚)”。桃井家家老”加古川本蔵”と主君”桃井若狭之助”主従の熱い交情を描いたもの。加古川本蔵は”松の廊下の刃傷沙汰”の際に塩谷判官を抱きとめて赤穂浪士からも恨まれ、主君はへつらい侍と罵られ・・という不忠義者。処罰されるはずが主君は本蔵の辛い真情をわかっていて(山科に)逃してやるというすじです。


荒唐無稽なエピソードといっちゃそれまでなんだけど、人形浄瑠璃として庶民に大当たりを取ったという演目。歌舞伎役者さんも義太夫節で演じるわけで、台詞は当然ながら太棹に乗せるし間合いも難しい。所作は人間がやるとかなりエグくなるなという感じ。鴈治郎さんは演技派なんだけど、この日は直情型の殿様若狭之助をオーバーなくらいに表現してましたね。


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目を見張ったのは中村梅枝さんの三千歳姫。この人は”髪結新三”で、白子屋手代・忠七を勤めてたけど、昨今成長ぶりが著しい役者さんです!
特に三千歳の義太夫節に乗せたクドキは気品ある丁寧な振り!琴弾きの箇所も難なくこなしてお見事!なんとも言えない色気が出ていました。女形ではダントツの成長株かも([ひらめき][ひらめき][ひらめき]


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この日は当然ながら、菊之助の初”新三”を心待ちにしてたワタシですが、序幕の”髪結い”と、忠七をいたぶる”永代橋の場”までは硬かったかなぁ!
どんな新三なんだろうと初見のワタシもドキドキして観てたのでそのせいもある。


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そうそう、序幕では(菊之助長男)”寺嶋和史”クンが丁稚役で登場。だからパパは緊張気味だったのかしら。和史クンはこの日一番の大拍手をかっさらていました![ひらめき]


下の写真(文春グラビアに出てたんですが)和史クンの横顔は(外祖父)吉右衛門さんのおもかげもありますね。客席で「お血筋では申し分ございませんものね」という声も聞かれましたが、4歳の子方に対する周囲の期待は並外れて大きいことでしょう。


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”髪結新三”は生世話の人気狂言なので芝居好きの人なら何度も観てると思う。菊五郎家のみならず名だたる役者が演じてきましたが、ワタシは昔から当代菊五郎の世話物が大好きなのでやはり菊五郎の舞台が一番。でも先の勘三郎さんも良かったなぁ!


江戸情緒満載だし(主役の小悪党)新三のイキのいいセリフにしびれさせてもらえるはずのお芝居・・・ですが、菊之助さんはルックスが良すぎる。繊細でイイ男すぎる。(白子屋の娘だって恋仲の手代より悪党に惚れちゃうよ。困るなぁ[ふらふら]


なあんて勝手なことを思いながら観てたら、2幕目”新三内(新三の長屋)”から、菊之助さんの芝居がころっと変わった。どんどん気持ちがノッて行ったのかしらね。粋な小悪党らしい雰囲気が自然体で表出してきて、弾むようなセリフが生きてきた。家主役の亀蔵さんも大当たりだった。新三とのリズム感のある掛け合いが気持ちよく、安心して落語のような世話物の世界を堪能させてもらいました。


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最近は菊五郎さんの世話物の舞台が少なくなったので、やはりこれからは菊之助さんの出ずっぱりが増えるんでしょうね。世襲の世界では仕方のないこととはいえ、どんどん責任が重くなって来る。大河になんて出なくていいから、とにかく元気でいてほしいと痛切に願うフアンです。





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ハッピーバースデー! [日記 犬]

誕生日も過ぎてまごうことなく70代に突入。ワタシめのことですが・・・「それが なにか?」


先日読んだ本に日本人の女性の平均寿命は87歳何ヶ月とかあった。ただし、”健康寿命”の平均はそれより13年も短いそうです。つまり13年間ほどは身体のあちこちがいうことをきかないでグズグズいってるという話。

「じゃあ元気なのは74歳までってこと?」ショック([がく~(落胆した顔)])。不整脈とか、足腰の不調、寝たきりだったり、ガンだったり、人によって軽重の差はあるんでしょうけどね。


”健康寿命”とは達者で長生きすること。モチロンそれは誰しも願うことだし、言い換えれば、自分の人生を自分でコントロールできる期間ということかしら。でも結局は「寄る年波には勝てない」ということかしらね。


ワタシの場合、その”健康寿命”を伸ばすためにせっせとプール&ヨガ&マージャン教室に通い、涙ぐましい努力(?)を続けているというわけです。本気で上達したいのは能とゴルフですが、こちらはなかなか・・・[ふらふら][ふらふら][ふらふら]


友人が送って来てくれたバースデーカード、もとへ、取扱説明書(トリセツ)。


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連れ合いにプレゼントしてもらったのは「浮く(!)水着」。今のワタシには何よりも必要なモノ。(自助努力なしで浮くそうです?)


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NYの息子夫婦が送ってくれた"Jacques Torres"ブランドのチョコレート。NYで人気なんでしょうか。(ゴルフカートのカードも楽しい)


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戦争も知らずたまたま”平和な”日本で70年間も生きられて本当にラッキーだったなと思いますね。つくづく恵まれた世代だと思います。
人は誰しも、どんな時代にどんな場所に生まれるのか、自分では選べない。地球上には個人ではどうしようもない理不尽な人生を過ごさなくてはならない人が大勢いるのに。。。





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雛まつり [日記 犬]

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ワタシ(&ミルク)のおひなさま。本来雛人形は”子供のお守り”らしいけど自分のお守りとして飾っています。


子も孫も男だったので我が家ではとんと縁がなかった雛まつり。20年ほど前だったか、お嬢ちゃんがもう大きくなって飾るところもなくなったからという友人のをいただいてそれ以来毎年取り出しています。


実家では弟のために毎年5月、大将人形の段飾りを飾っていましたが、3月の雛人形はなかった。昭和の時代、田舎のことゆえ”長男意識”が根強く残ってたんですね。女の子はどうせ出ていくもんだと思われてた。かわいい孫でも”内”とか”外”とか言って区別してましたね。

女子はお祭りの屋台にも登れなかったし、不浄(生理)の際にやっちゃいけないことなんてのも多々ありました。ワタシは(今年選抜に選ばれた)母校の野球部の初代の女子マネジャーでしたが、公式戦の時には女子はベンチに入れなかった。アルプス席でスコアブックをつけていました。


「なんかおかしいなあ」と思いつつ、女子大の全共闘時代におずおずと意義申し立てを始めたんだった・・・・。

おひなさまを見てたらあれやこれや思い出しました。もう半世紀も前の話です。


 



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2月に読んだ本 [読んだ本]

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* 天皇の戦争宝庫 井上亮


* ついに 来た 群ようこ


* 紅のトキの空 ジル・ルイス


* フロスト始末(上)(下) R・D・ウイングフールド


* 琉球処分(上)(下) 大城立裕


* 標的 真山仁


* おらおらでひとりいぐも  若竹千佐子


* おもかげ  浅田次郎


* 無辺光  片山幽雪聞書


* 眠れないほど面白い「日本の仏さま」 並木伸一郎


* 呉漢(上)(下)  宮城谷昌光


* 運慶のまなざし  金子啓明


* 万葉のことば  上野誠


* 警視庁生きものがかり  福原秀一郎 

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2月の舞台 [美術館 観劇]

*文楽公演 織太夫襲名口上「摂州合邦辻」ほか


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*能楽ワークショップ


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似合ってますかしら? [日記 犬]

TVをつけると(平昌オリンピックの)カーリングばっかり中継してるので、すっかりカーリングに詳しく(?)なった今日このごろ。
最初は(あのブラシお掃除隊は我が家にも来て欲しいなあ・・)なんて不埒なことを思いながら見てたんだけど、若いお嬢さん方の「そだねー」の可愛い声と必死の表情にすっかりハマってしまい、準決勝と三位決定戦はTVにかぶりつき。銅メダルの快挙は嬉しくて[ひらめき][ひらめき]


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お江戸は久方ぶりに気温も上がっていいお天気[晴れ][晴れ] かなり犬臭かったミルクを、連れ合いがお風呂に入れてくれた。薄汚れてた毛の色も元(イエローラブ)に戻りました!お友達の家に遊びにいったら(ワンコ)ママ友が手造りの素敵なバンダナをくださった。早速"バンダナ持ち”ミルクのコレクションに仲間入り[わーい(嬉しい顔)][わーい(嬉しい顔)]


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(オリンピックメダルにはおよばないけれど・・)「似合ってますかしら?」


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国立劇場2月文楽公演第2部 「竹本織太夫襲名披露口上」ほか [美術館 観劇]

若手の”豊竹咲甫(さきほ)太夫”が”竹本織(おり)太夫”を襲名されることになって、2月東京の文楽公演はそのお披露目興行です。


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連れ合いは以前から咲甫太夫さんのフアン。「若手に頑張ってもらわんと・・・」と楽しみにしてたみたい。


劇場の外にはご贔屓筋からの幟もはためいてお祝いムードが。


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ロビーにはお花やご祝儀も展示。歌舞伎界や能楽界、落語家のご友人に交じって小泉進次郎さんからの金一封も。(同世代でしょうか?政治家の気配り?)


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”竹本織太夫”という名は”咲甫太夫”の師匠にあたる”豊竹咲太夫”のお父上(故)”竹本綱太夫"の前名で、この公演はその「綱太夫50回忌追善興行」でもあります。


第2部の襲名口上の舞台は(織太夫を襲名する)咲甫太夫さんと(師の)咲太夫さんのお二人のご挨拶でしたが、(綱太夫息子でもある)咲太夫さんの話によると、文楽の太夫で50回忌興行を打つのは前例のないことだそうで、この日のために頑張ってきたというご本人の感激が伝わってきました。その機会に愛弟子に”織太夫”を継がせようということらしい。さらに精進して綱太夫の名も・・・という師匠の親心なんでしょうね。


ワタシは名人と言われた綱太夫さんの舞台を観てはいませんが、綱太夫さんは滝廉太郎と従兄弟だそうで音感的に優れ、床での語りだけでなく、古典の復曲や作曲を手がけ、後継者の育成のためにも努力された革新的な太夫さんであったらしく、お写真からも皆さんに慕われただろうお人柄がしのばれます。


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当然ながら、若い咲甫太夫さんは口上の舞台(終始無言)からかなり緊張した面持ち。”豊竹”から”竹本”に名が変わるので”紋”も変わるそうですよ。


もともと、声量が豊かでのびのびした語りが持ち味の咲甫さんですが、この日の「摂州合邦辻(せっしゅうがっぽうがつじ)」の「合邦住み家の段 奥場」はやはり荷が重かったかなあという印象。


CCF20180220_00015 (336x480).jpg(玉手御前)


襲名披露の演目「摂州合邦辻」は、綱太夫が得意としたもので、百万遍念仏の場面"南無阿弥陀仏"という言葉が何度も登場することもあって選ばれたそうです。


中世の説経節や能の弱法師でもおなじみの”俊徳丸”の悲劇の物語の一つで、「合邦辻」では継母”玉手御前”の継子”俊徳丸”に対する横恋慕が描かれ、玉手の狂乱の振る舞いは<実は>お家を守るための忠義だったというオチがついています。


CCF20180220_00014 (388x480).jpg(玉手と合邦)


玉手御前を遣うのは勘十郎さん、(玉手の父)合邦は和生さん。
奥の前(切り場)は師匠の咲太夫さん&三味線(新織太夫の伯父)清治さんのコンビという豪華な顔ぶれ。さらに中場の三味線は(新織太夫の弟)清馗さんが応援。余談ながら咲甫太夫は三味線の家に生まれながら太夫を志して来られたそうです。


新・織太夫が語るのは、父の合邦が浅ましい娘を成敗しようと自らの刀で手にかけるところから始まり、いまわの際に真情を吐露した玉手に、合邦が悲痛な悔恨の情をあらわすくだりで、文楽的には一番の聴かせどころとなります。まあ、クドキがクドクドと続くわけで、いかにクドキの芸術とはいえ「死ぬまでに30分もかかるのは長すぎやろ[ふらふら]」と感じてしまった。


新・織太夫の熱演は十二分に伝わってきました。聴かせどころの”間あい”がぐっと良くなったように思う[ひらめき][ひらめき]。が、(厳しいことを言わせてもらえば)クドキの場面では咲甫さんの豊かな声量がかえってアダになるというか、繰り返しの台詞が耳について感情移入ができないんですね。

和生さんの合邦が淡々としてるというキライはありますので、語りと人形がハマッてないのかもしれない。話そのものが受け入れ難いからシラケるという点もある。


「織太夫さん頑張れ!」と思いつつ、「なかなか難しいもんだなあ」とも思いながら帰ってきました。


 






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「仁和寺と御室派のみほとけ」展 東京国立博物館 [美術館 観劇]

「葛井(ふじい)寺の千手観音だけでも観に行こう」と連れ合いに誘われ、車に便乗して上野へ。

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2013年のお盆に”世界遺産に泊まった”と(拙ブログで)仁和寺の宿坊に泊まったことを書きました(http://alexleo.blog.so-net.ne.jp/2013-08-22が、さて”みほとけ”はどうだったっけ?(記憶がおぼろ[ふらふら]


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関西では”ふじいでら”って聞くと”藤井寺球場?”って思うんですけど、もともと”葛井”って書いて”ふじい”と読ませたらしい(読めへんやろ[ふらふら]
チラシの千手観音が葛井寺のご本尊です。(なんと!)8世紀、奈良時代の仏さま、天平の木像彫刻ですって。写真では平面的にしか見えませんが、実際に目にすると立体像の迫力に度肝を抜かれます。秘仏だけあって、当時の造形がほとんど損なわれずに残っているらしい。


思わず「ホンマに千本の手があるんやろか?」と数えてしまったワタシ。片側だけで500本はあったからやはり1,000本あるんでしょうね。千本の手を背負っている観音さまはさすがに重たそう(笑)でしたが、手はすべて軽い”桐”でできてるそうです。指先は一本一本針金で芯を作った上に木漆を塗り込めているそうで、気の遠くなるような作業です。


「よく東京まで運んできたなあ!」と連れ合い。一本でも傷をつけたら大変ですもんね。ところが、この観音さま、江戸時代にもはるばる江戸まで出ばってきて御開帳されているそうで(マジ?)・・・大井川に橋もかかっていない昔にどうやって運んできたんだろうと思うと・・・・想像を絶しますよ。


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絶大な人気&ご利益があった仏さまとも言えますが、時代を超えて人々の強い祈りを一身に受けてこられた千手観音です。表情は穏やかで薬師寺の日光月光菩薩などとよく似ています。後期(2/14~)の展示なので後期に入ってすぐに行ったんですけど、観音さまの前は多くの善男善女で溢れかえっていました。モチロンワタシもしっかりお参りさせてもらった。


話が前後しましたが、仁和寺は平安時代に(真言密教に帰依した)宇陀天皇の御願寺として創建された門跡寺院。宇陀帝が出家後法皇になられてこの寺を住居とされてからは”御室(おむろ)”と呼ばれ、真言宗派としても独自の発展をなし、また(院政の)”院”にあたる場として政治的にも重要な寺となったそうです。

(京都では”仁和寺”というより”おむろ”と言ったほうがとおりがいい。さらに言うと、遅咲きの"御室の桜”は背が低い、のは誰もが知ってる。オムロンも知ってる


でも、寺宝がこんなに多く残ってるとは知らなかった。宿坊に泊まった時、半蔀の綺麗な金堂で早朝の勤行にも出させて貰ったのに、阿弥陀三尊にはお参りしたのかしらん?と反省。こちらがその(国宝)阿弥陀如来。丸々した体躯の(いかにも優美な)平安仏。こうした展示とお堂で拝むのとは全く違うけど、近年、国宝級の仏さまを気軽に貸出していただけるようになったのは、美術フアンにとってはすごくありがたいことですね。


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その真言密教”御室派”の総力を挙げてが今回の展覧会。(葛井寺も仁和寺の末寺になるのね)総本山の仁和寺は言うに及ばず、末寺のご本尊さまや秘仏が目白押し。「こんなに出開帳してエエんかなあ、お寺は困るんと違うか」と連れ合いは(よそ事ながら)心配をしておりましたが・・・([わーい(嬉しい顔)])。


仁和寺は(ご他聞にもれず)”応仁の乱”で焼失した、にもかかわらず、皇室と所縁の深い寺院だったため、後水尾帝に嫁いだ(徳川将軍家光・妹)東福門院和子の後援があって御所の移築などがなされ、王朝時代の優雅さを今なお留めています。


展示品には仏像以外にも天皇や法親王の消息文や和歌などが多く「この天皇さんは字が上手いとか、ええかげんやとか、勉強が好きやったんやろ」とか・・・なんとなく想像がつきます(笑)


そんな中で”子島(こしま)寺”のでっかい金剛界曼荼羅に圧倒された!前期展示は”胎蔵界”、後期の展示は”金剛界”(大日如来の悟りの時間的な変化を表すらしい)”。国宝で”両界子島曼荼羅”として有名だという話。隣に文化庁が造ったコピーも展示していましたが、現物の保存状態の良さといったらありません。細やかな文様が浮かび上がっています。密教の教義はめちゃめちゃ難しくて、ワタシには曼荼羅が理解できるはずもないけれど、美術品としてデザインとして見るだけでも素晴らしい!(スミマセン。画像がない)


それから北宋時代の”孔雀明王図”を、江戸時代に仁和寺の僧侶たちが模写した軸絵も大変綺麗でした。(下は北宋時代の原図です)特に仁和寺には真言密教の秘法として孔雀明王の修法が伝わっているので孔雀を大切にしているそうですよ。(密教って覚えることが多いしホントに難しい。空海はどんだけ天才やったんや!と思います)


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千手観音だけ拝めたらいいと思って出かけたんですがとんでもないこと。御室派寺院の仏像はどれをとっても優劣がつけがたい。気品のある仏さまが多かったという印象(道明寺の”十一面観音立像”などもったいないほど優美な仏さまでした!)


珍しく撮影を許可してる展示室が一部屋だけあって押すな押すなの大盛況でした。カメラを手に「この部屋だけ見に来たの!」と絶叫している女性もおられましたネ。


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常は非公開の仁和寺の観音堂を再現した部屋です。観音堂を解体修理するというのですべての仏さまがお出ましになって、展示室をそのままお堂の内部に見立てています。


もとはといえば(下のような)観音堂内。ご本尊の千手観音が、脇侍に不動と降三世明王、両左右には彩色も鮮やかな28部衆を従え、さらに両隅にはカッと目を見開いた風神雷神が陣取っています。さすが密教の仏さまたち。パーテイのように賑やかですね。いやいや、ここは密教儀式の伝授が行われる神聖な場所なんです。


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(仁和寺が再興された)寛永期の作だそうですが彩色がよく残ってるのでそうは見えない。アップするとこんな方々。


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どなたがどれかわかるかしらん?


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白檀の秘仏”薬師如来像”。歴代の法親王の念持仏だったそうで制作年代(1103年)も仏師(円勢・長円)も判明しているという貴重な仏です。手のひらに乗るほどの可愛らしい仏さまですが細工の細かいこと!純粋な信仰心で大事にされてきたんだろうなあと感じます。(そういえば空海の念持仏も小さくて細かかったなあと思い出しました。)


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ワタシの気にいったのは(どちらも仁和寺の寺宝)一木作りの”吉祥天立像”と、


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”シッダ太子像”です。お釈迦さまの若い時のお姿ですね。


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せっかく上野まで来たんやから、やっぱ、シャンシャンでしょ・・・というわけで帰りがけ動物園にも立ち寄ってみましたが・・・・なんやなんや、このものものしい様子は?


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(シャンシャン観覧の)整理券配布の待ち行列だろうな。それにしてもおびただしいコーンの数。見ただけで腰がひける。


<ならばないでください>と張り紙が。「エエッ~。ひょっとして夜中から並ぶ人もいてるの?」


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当然、この日は配布終了。お昼前でしたからね。(けど、シャンシャンが寝てたらどうするねん?親パンダは寝てるか竹を食べてるかどっちかやし・・)


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「アンタもシャンシャンの本物の(?)フアンだったら、朝早く来て並ばなくちゃなア」と連れ合い。「・・・・・・・・」とワタシ(遠慮しとく[ふらふら])。












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能楽鑑賞体験ワークショップ・若手能楽師の(タケノコ)会 [日記 犬]

友人に誘われて五反田の”池田山舞台”へ。


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初めて足を運んだ能舞台です。五反田駅から徒歩4分、高級住宅街の一角にあり、外観からは能舞台かどうかわからない。(電柱に案内がありますので迷うことはない)


まだ新しい能舞台。天井が高く使い勝手のよさそうな舞台です。


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昭和56年生まれのプロの能楽師たち(シテ方、狂言方、囃子方etc )が、流派を超えて集まり、2013年に”タケノコ会”として発足。芸の切磋琢磨と同時に、素人にもわかりやすく能の世界を伝えていこうという意欲的な試みを続けているそうです。
昭和56年生まれというとまだ37歳ということか。息子達の世代ですね。


超アットホームな交わりで(観客の数は20人あまり)小さなお子さんが受付を手伝っていたりします。説明をしながら演じるのは至難の技だと思いますが、若手の皆さんは一切手を抜かず大真面目で奮闘。


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観るだけでなく、謡も囃子も参加者全員に体験してもらおうと、様々なプログラムが用意されていて、最後にはお菓子付きの茶話会まで。当然コストは度外視でしょう、お金も労力も能楽師さんたちの多大な持ち出しだと思われます。


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能楽堂でよくお見かけするプロも何名かいらっしゃいましたが、わざわざ京都から出張された”金剛流”の(シテ方)宇高さんの謡を聴けたのがワタシにはすごく良かった。

おなじみ”高砂”の待謡の箇所、[るんるん]~高砂や この浦舟に 帆をあげて~[るんるん]を、観世、宝生、金剛の3流派で「謡&舞比べ」。 流派のよってこんなにも違うのかと面白かったし、ワタシの耳に残っている”高砂”の節は(多分)金剛流だろうなとも思った。昔は東映の時代劇によく能の場面が登場しましたが、その時の謡は”金剛流”だったのではないかしら。京都ですからね。

 (観世をお稽古している)現在はモチロン観世が一番謡やすいのですが、金剛流もいいなあ!と感じてしまいました。


囃子方のワークショップでは小鼓と大鼓の体験をさせてもらった。下が大鼓の楽譜(?)ですけど、今ワタシは謡の”間”で悩んでいるので、”八ツ割(八拍子)”を理解するのに大いに役立ちました。赤い三角印は大きく「ポ~ン!」と打ち、丸印は小さく「ポン」と打ちます。「ン」はコミと呼ばれる”間”、「ハ」とか「ヤア」は掛け声です。


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若手の強みというか流派や男女の垣根を超えて共に能楽界を支えて行こうというエネルギーを感じました。

茶話会で(旧家を背負った)若手の一人が「こんなことをしてるヒマがあったら稽古せいと親父には言われそうですが、親父の代には何もしなくてもお弟子さんが来てくれたけど今は違います、とっつきやすい入り口を提供できればいいと思ってるんですよ。必ず能を好きになってくれる人はいるはずです。」と語っておられたのが印象的。


能に限らず伝統芸能(文化芸術)の世界ではどこも同じだと思いますが、昔のように権力者や富裕層が大パトロンになるわけじゃなし、裾野を支える層もどんどん高齢化してるので先細りの感は否めません。大事な世界を次世代につなげるためにもこうした若手を応援しなくちゃ。






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東京都シルバーパス [日記 犬]

70歳以上の高齢者が購入できるシルバーパスをゲットしました。有効期間は10月~9月までの1年間。都内のバスや都営地下鉄で使えます。出歩ける年寄りはみんなバス乗りましょうね、というわけ。収入に応じて価格が違いますがワタシの場合は1000円ポッキリ。かつての美濃部都政時代の大盤振るまいの名残でしようかしら。


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ただ問題は、自宅近くにはバス路線がない、畢竟バス停がない、ことです([ふらふら]



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厚岸からカキが届いた! [日記 犬]

巷をお騒がせしている”週刊文春(センテンススプリング)”。我が家ではもっぱら”お取り寄せ便”コーナーを愛読しています。そこに生カキを取り寄せてるという菊地弁護士の記事が載ってて、真似して取り寄せてみた。


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北海道の厚岸漁協へ直接頼んだらすぐ送ってくれて2日ほどで届いた!(30個入で送料込み3780円)


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殻剥きナイフも入ってた。剥き方もユーチューブで紹介されてたので、二人がかりで見よう見まねでやってみた。(慣れた頃には終わってたけど)


こちらが(苦労の末に剥いた)殻付き生カキ15個。白ワインで乾杯です!めっちゃ美味[ひらめき]


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沖縄ゴルフ旅行(3)ベルビーチGC・今帰仁グスク [日記 美術館 犬 ニューヨーク 観劇]

2箇所目のゴルフ場は”ベルビーチゴルフクラブ”。ホテルから1時間かかったけど、スタートが9時前だったので、この日は朝食をとってから出発。”島時間”に慣れたのでゆっくり行くべと。(余談ながら)ホテル内にはいろんなレストランがあり、”和食と沖縄料理”の店が美味しかった(下は朝食バイキング)


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ベルビーチGCは海洋博公園にも近く、本部半島の西岸に沿っていて(晴れていれば)東シナ海を満喫しながらプレーを楽しむことができるそうです。宮里兄弟(宮里藍や優作)がホームコースとして練習に励んだというのがウリ。


でもこの日は最初から雨([雨])。何度も書いてるけど寒い上に風が強い。「エッ?」カートが手動運転(リモコンもついてない!)、アップダウンが激しく、ビジターにとって案内板がチョー不親切!アウトスタートだと言われ10ホールまで行くのに(なんと!)10分以上かかった。その上「カラスが悪さしますのでカートには一切物を置かないでください。」って。ウッドカバーまで椅子の中に隠す徹底ぶり。


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と言われても・・・水くらい飲みたいよな。ホテルから持参した水”利山”。(余計な話ですが)ホテル名のリザンシーパークは”利山”という親方(うえーかた)の名からつけたそうです。


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「(このカートで)崖から落ちたりしないで無事戻ってこれればめっけもんだな」と連れ合い。冗談いってるのかとケラケラ笑ってたら、笑い事じゃない。雨は降るし、急坂の道はガタガタ、道案内も不親切、途中でエンジンが止まっちゃうし、無線機はついてないし、いちいちカートを取りに行って動かさなくちゃならないし・・・どんだけ歩いたか!崖から転落はしなかったもののドッとくたびれました!最後の2ホールはパスしたワタシ。泣きたくなった([もうやだ~(悲しい顔)][もうやだ~(悲しい顔)])。


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「(宮里)藍ちゃんたちはよっぽどハングリーだったんだろうな。足腰を鍛えるにはもってこいだ」と連れ合い。でしょうね。でも70才のオバサンにはムリムリ。これからはせめてカートにリモコンがついてるゴルフ場を探さなくちゃ。(でもって、セルフプレイ13000円/人でした)


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スループレイが終わって1時過ぎてたか。前日に比べて疲れ方が2倍も3倍も。とにかくランチを食べて、お口直し(?)に近くの”今帰仁グスク跡”を見に行くことにした。


<今帰仁グスク跡>


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(前回にも書いたけど)10年以上前にこのグスクを訪ねた時はほとんど来る人もなかった。それが最近突然脚光を浴び、TVなんかでも紹介されるようになりツアーのコースにも入ってきたみたいで、堂々たる観光地となってました!


”平郎門” 主郭(本丸)に続いていく門です。


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今帰仁グスクは波打ったような形の城塞がすごく綺麗です。「(イメージが)ミラノの中世の城壁と良く似てるなあ」と連れ合い。お互いに知ってたはずはないけど、似たような建造物になってしまうのは、似たような建材(石灰岩?)が採出してたのかしらね。「人間の考えることっておんなじやなあ・・」とつまらない感想を述べるワタシ。


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この日は桜まつりの最中でもあって(例の緋寒桜です)、雨模様にもかかわらず大勢の人が訪れていました。夜にはライトアップもするらしくあちこちに照明灯が置いてる。


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石垣の塀の上には登っちゃいけませんと張り紙もしてる。「なんだかなあ・・」といった気分。


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このグスクは14世紀の三山時代、琉球が北山・中山・南山と分かれていた頃の”北山王”の城だったとかで、多くの遺跡が発掘され調査も進んでいます。観光地化されてるとはいえ住居や御嶽跡もしっかり残されているので貴重な歴史・文化遺産です。

こちらは”志慶真門郭”跡。外郭は一段低くなっています。城主に仕えた人たちが住んでいた跡だとか。


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(明日は空港近くでハーフコースでもやってから帰るかナ)と思ってホテルに戻ると、ANAから「明日の便の変更をお勧めします」というメール。「なになに?」明日夕方の便は東京の雪予報で欠航・遅延の恐れがあるので、午前中の便に振替を勧めるという内容でした。(ついてない![もうやだ~(悲しい顔)])フリータイムを残して夕方発の便を予約してたんだけどすぐに連絡して午前中の便に振替。「ミルクもすぐに迎えに行ってやれるからいいじゃないか」と連れ合い。(雪だと我が家のノーマルタイヤ車は動かせないもんね)


(前日に引き続き)ホテルのアトラクション。組踊”四つ竹”。


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最後の夜はバーに行って泡盛で〆。海は真っ暗でした。


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沖縄で、カッコよく、ゴルフをするはずだったのにねえ。まだまだ未熟もん[ふらふら][ふらふら]

















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